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カテゴリ:南アジア考古学/SA Arch.( 18 )

インドのアシューレアン石器群は150万年前まで遡るか: The earliest Indian Acheulian dated 1.5Ma


 インドから、もう一つのニュース。こちらは1週間遅れです...
 3/25号のScience誌に、Early Pleistocene Presence of Acheulian Hominins in South India(南インドのアシューレアン人類は前期更新世にすでに存在していた)というreportが掲載されました。
 筆頭著者は、チェンナイにあるSharma Centre for Heritage EducationのDr.Shanti Pappuです。チェンナイの北西に位置するアッティランパッカム(Attirampakkam)遺跡のハンドアックス、クリーヴァーからなるアシューレアン石器群について、出土層準の古地磁気層序年代と出土石器の26Al/10Be法による埋没年代推定の結果にもとづき、1.51±0.07Maという年代が報告されています。詳細は、レポートを見ていただくとして、重要なのは、インド(さらには南アジア全体)の前期旧石器時代遺跡について、初めて複数の手法により検証された年代が与えられたこと、そしてそれが大方の予想を大きく上回る古さだったこと、の2点にあるかと思われます。
 従来の、インド前期旧石器時代遺跡の数値年代については、たとえばDr.Sheila Mishra(デカン大で大変お世話になりました)が、Current Anthropology(vol.33,1992)*に集成した当時では69ka~>390kaと、アフリカや西アジアよりもかなり新しいものでした。それらを遡る年代としては、パキスタンのDinaとJalipurの断面採集資料の地磁気層序年代にもとづく0.7Ma*2、そしてインドBoriにおける0.67Ma*3が報告されていました。しかし前者はわずかな資料であり、後者については根拠となった石器出土層準下位のテフラの年代・評価について、K-Ar法およびウラン・シリーズ法により1.4Ma*439Ar/40Ar法では0.67Ma、さらにその後テフラの全化学組成により74kaのYTT(ヤンガー・トバ・テフラ)に同定される*5など、見解が分かれていました。このため、インド・南アジアでは、アシューレアン石器群の出現期の年代をめぐって、いわば「短期編年」と「長期編年」という異なる見解の間の議論が続いてきたのです。その後、2002年には、デカン大のDr.K.Paddayyaらが調査したイサンプール(Isampur)遺跡の出土石器のESR年代測定により1.2Maという数値年代が示されましたが*6The Palaeolithic Settlement of Asia をまとめたDennellをはじめ、否定的な見解も示されてきました*7
 今回のDr.Pappuらのレポートでは、こうした問題を乗り越えるために、層序コンテクストの確実な(9mもの堆積層の中に遺物包含層がある)遺跡で、複数の年代測定(推定)法を用いるというアプローチを採用しています。その結果は、古地磁気層序年代について1.07~1.77Ma(マツヤマ逆磁極期中の、ハラミヨ事変とオルドゥヴァイ事変の間)と、クォーツザイト製石器6点の埋没推定年代について1.17~2.47Maというものでした。そしてそれらを総合して、1.51±0.07Maという年代が報告されたのです。(左の発掘風景写真はコルカタTelegraph紙3/25付Web版より)。
 もう一つ重要なのは、報告されている石器群が、ハンドアックスとクリーヴァーからなる、典型的な前期アシューレアン石器群であること(写真右:出典同上)。アフリカや西アジアで報告されている石器群と共通する特徴を示しています。これについて、前著ではIsampurの1.2Maという年代を退けたDennellも、今回の結果を受けて、アフリカ・西アジアから早期に南アジアへアシューレアンが進出していた、と図式を描きなおしています(Science同号の展望)。
 先にみた南アジア・アシューレアン石器群をめぐる短期・長期編年と関連して、パキスタンのRiwat(~2Ma)やPaabi Hillの石器群(2.2~0.9Ma)にもとづいて、南アジアにオルドワン石器群に共通(ないし類似)したモード1石器群(剥片と石核)が先行したとの見解があります*8
 一方で、Dr.Mishraらは、インド北部における調査事例などにもとづいて、南アジア前期旧石器時代はその開始期からアシューレアン石器群であったとする見解を示しています*9。今回の報告は、このあたりの議論にも、とてつもなく大きな一石を投じることになりそうです。
 人類が、その揺籃の地、アフリカから外の世界へと第一歩を踏み出したのはいつのことなのか、そしてどのような人びとが、最初の開拓者だったのか、考古学・古人類学におけるもっともホットな話題に、南アジアから新たな知見が加えられたのです。

(余談)
 ここで報告されているアッティランパッカム遺跡は、日本における南アジア考古学研究者、とくに一定以上の世代の方々には、実はよく知られた遺跡です。本遺跡は、南アジア先史考古学の創始者とも言えるR.B.Footeにより19世紀末に発見されて以来の、いわゆる「マドラス文化」の示標遺跡です*10。そしてその名に惹かれて、1960年代前半にカルカッタ(現コルカタ)に滞在していた故・丸山次雄氏も遺跡を訪れ、多くの石器を採集し日本に持ち帰っていたのです。それらは、南アジアの「生」の資料に触れられる格好の材料として、かつて、そして現在でも重要なコレクションです。「丸山コレクション」は、現在、東海大学文学部に収蔵保管されています*11

遺跡の位置はこちら

(文献) ※*11に誤りがありましたので追加・修正します(110405)
* Mishra(1992) The age of the Acheulian in India: new evidence. Current Anthropology,vol.33:325-328
*2 Rendell&Dennell(1985) Dated Lower Palaeolithic artefacts from northern Pakistan. Current Anthropology,vol.26:393
*3 Mishra et al.(1995) Earliest Acheulian industry from Peninsular India. Current Anthropology,vol.36:847-851 
*4 Korisettar et al.(1988) Age of the Bori volcanic ash and Lower Palaeolithic culture of the Kukdi Valley, Maharashutra. Bulletin of the Deccan College Post Graduate and Research Institute,vol.48:135-138
*5 Acharyya & Basu(1993) Toba ash on the Indian subcontinent and its implications for correlation of Late Pleistocene alluvium. Quaternary Research, vol.40:10-19
Westgate et al.(1997) All Toba tephra occurrences across Peninsular India belong the 75,000yr BP. Quaternary Research, vol.50:107-112
Jones(2007) The Toba supervolvanic eruption: tephra-fall deposits in India and paleoanthropological implications. In M.D.Petraglia & B.Allchin eds.The Evolution and History of Human Populations in South Asia:173-200
*6 Paddayya et al.(2002) Recent findings on the Acheulian of the Hunsgi and Baichbal valleys, Karnataka, with special reference to the Isampur excavation and its dating. Current Science, vol.83:641-657
*7 Dennell(2009) The Palaeolithic Settlement of Asia.
*8 Dennell(2004)Early Hominin Landscapes in Northern Pakistan. BAR International Series 1265
Dennell(2007) "Resource-rich, stone-poor". In M.D.Petraglia & B.Allchin eds., The Evolution and History of Human Populations in South Asia.:41-68
Chauhan(2010) The Indian Subcontinent and 'Out of Africa I'. In Fleagle et al.eds. Out of Africa I: the first hominin colonization of Eurasia.:145-164
*9 Gaillard et al.(2010) Lower and Early Middle Pleistocene Acheulian in the Indian sub-continent. Quaternary International, vol.223-224: 234-241
*10 Pappu(2007) Changing trends in the study of a Paleolithic site in India: a century of research at Attirampakkam. In M.D.Petraglia & B.Allchin eds. The Evolution and History of Human Populations in South Asia.:121-136
*11 河野眞知郎(1977)「アッティランパッカム遺跡の旧石器」『インド考古研究』第5号
遠藤仁(2001)「南アジア前期・中期旧石器時代の石器研究I」『丸山次雄コレクション覚書』第4号

by asiansophia | 2011-04-04 00:01 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その5) 文化財・文化遺産は誰のため? 何のため?

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その5) 文化財・文化遺産は誰のため? 何のため?_a0186568_1214719.jpg センター試験真っ最中です。ほぼ毎年、寒波襲来ですね。分かっているのだから日程をずらせばいいのに...と思うのは大きなお世話でしょうか? 東京は幸い雪は降っていませんが、寒い風が吹きすさんでいます。さてこのシリーズ、そろそろ石器研究の成果をまとめないといけないのですが、その前に、またもや寄り道。先に、考古学の意義・役割についてちょっと偉そうなことを書いたので、そのフォローというか、なぜパキスタンでそんなことを考えたのかということを補足します。
 

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by asiansophia | 2011-01-16 12:51 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:速報!新刊紹介「インダスの考古学」

 今日は、韓国APAで大変お世話になったコン・スジンさんとだんなさんご一行にお会いしました。明治大学博物館で資料を見学されるということで、とりあえずご挨拶だけ。たぶん、今頃は御茶ノ水の夜を満喫されていることでしょう。E田さん、肝臓をいたわってくださいね(余計なお世話)
 また、ナイフ・シンポが終わったら、Sheila Mishlaさんを訪ねる予定です。韓国での交流の輪がつながり続けるのはうれしいことです。そして次は、日本ですね!

南アジア先史・原史考古学への道:速報!新刊紹介「インダスの考古学」_a0186568_2119537.jpg そして帰宅したら、右の新刊が届いていました。
 ついさっきAmazon.jpを覗いたところ、まだ取り扱い前のよう。ということで、ネット上でも最速の紹介か?
 それはさておき、本書「あとがき」でも触れられているとおり、インダス文明に関する単著としては、インダス文明―インド文化の源流をなすもの (NHKブックス〈375〉)以来、30年ぶり。その間の研究の進展がコンパクトにまとめられています。
 それと、もう一つの見所(?)は、アトリエこんどう工房(勝手に命名)による多数の挿図。印刷物から転載した不鮮明な写真より、熟練の職人さん(?!)たちが点描トレースした精緻な挿図は、きっと、『インダス文明展』の美しい図録写真同様、あちこちで転載、再利用されることになるのではないでしょうか。
 ちなみに口絵には私の撮った写真を使っていただいています。ちょっと言い訳すると、1ページ目のモヘンジョ・ダロの写真は、35mmのカラー・リヴァーサル・フィルムをスキャンしたものですが、やはりちょっと...すみません...



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by asiansophia | 2011-01-14 22:33 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:先取り編「平原と丘陵の対立」

ナイフ・シンポ予稿集、ほぼ終わりましたよ。明日、ほぼ入稿です。

 さてシンポ予告編の続きを書こうと思っていたのですが、遠くインド・プネーから刺激的な記事が届いたのでちょっと脱線。南アジア先史・原史考古学への道:先取り編「平原と丘陵の対立」_a0186568_21283840.jpg
 右は、World Wind:NASAが作った究極の衛星地球儀ソフトで取得作成した、パキスタン主要部の衛星画像です。中央上のオレンジ破線サークルが、RHDの所在するゴーマル平原およびバンヌー盆地。インダス右岸に沿ったスレイマン山脈の山裾の扇状地帯です。左下の同じくオレンジは、メヘルガル遺跡のあるカッチー平原。濃紅がバローチースターン丘陵。緑がモヘンジョ・ダーロのあるシンド北部、水色がハラッパーのあるパンジャーブ西部、どちらも平原部ですが、前者は曲流平野、後者は段丘地形です。
 インダス文明以前、主要な遺跡が展開するのはおもにオレンジ~濃紅の地域。一方、2大都市をはじめ文明期前半の中心は、もちろん水色~緑の平原部です。
 この画像でもはっきり分かるとおり、基本的には乾燥地域の中を、ヒマラヤ(左上側)を水源とするインダス川の流域にだけ緑の帯が伸びています。今日のパキスタンにおいても、重要な穀倉地帯です。

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by asiansophia | 2011-01-05 22:25 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その4) インダス文明と石器研究2

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その4) インダス文明と石器研究2_a0186568_3393283.jpg南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その4) インダス文明と石器研究2_a0186568_3392422.jpgどうも考古学ネタばかりですが...遠くインドから見に来てくれる方もいらっしゃるので、こちらも続きを
左は2006年8月、右は2006年12月~2007年1月滞在時の写真です。左写真の前列中央右、右写真の中央は、博物館の館長でもあるProf. Taj Ali。イスラム建築の専門家です。右写真の右から2人目は、Faculty of Arts and Humanitiesの学部長(Dean)のProf.M.Farooq Swati。ガンダーラ美術の専門家です。
K学院大のK先生、地球研のUさん、Indus-SaraswatiことKさんは両方に写ってますね。私は、右の写真にいますよ。
 さて、インダス文明以前あるいはインダス文明形成過程の石器研究の話題です。当該時期・段階については、文明成立に至るまでの諸文化の編年と相互関係、そして文明に至る系譜への文化史的な興味が主流なので、土器や土偶、印章などが研究対象として選ばれるのは必然です。石器についても、組成や形態的・技術的特徴にもとづく文化史的アプローチがなされています。唯一、フランス隊のみが、製作技術、とくに技法復元や動作連鎖に焦点を当てた研究を行なっています。
 私自身のRHD石器群の観察では、製作技術、技法も視野に入れつつ、石材利用、とくに遺跡における消費形態に照準を絞ることとしました。というのも、一定数の資料を観察した時点で、石器形態、あるいは技法と石材との相関性が窺えたからです。
(続く)
by asiansophia | 2011-01-05 03:57 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その3) インダス文明と石器研究1

 石器チーム(構成員は限りなく1人)が対象としたラフマーン・デーリ(Rehman Dehri:以後、RHDと略記させていただきます)遺跡は、パキスタン、カイバル・パクトゥンクワ州南部のデーラ・イスマイル・ハーン県にあります。インダス川中流右岸に広がるゴーマル平原の一角です。周囲4キロに及ぶ囲壁をもち、ペシャワール大学により発掘調査が行なわれました。その成果はAncient Pakistan誌(vol.6,vol.10)に報告されています。インダス文明の前段階の大規模集落で、文明期に至り廃絶されたと考えられています。
南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その3) インダス文明と石器研究1_a0186568_21531914.jpg 出土品は多彩で、彩文土器、土偶、印章、金やラピスラズリ、象牙製などの装身具が多数。もちろん石器もあるのですが、宗臺秀明さんによる考察(「石器よりみたるハラッパー文化の形成」『インド考古学研究』第7号, 1984、「ラフマーン・デーリー遺跡出土石器群の性格」『インド考古学研究』第13号,1990)を除くと、まったく報告されていません。ペシャワール大学に留学されていた宗臺さんにお聞きしたところ、どうも私が資料を手にした2004年末の状態は、宗臺さんが資料を扱われていた当時のまま=十数年にわたって誰も触っていない状況だったようです。
南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その3) インダス文明と石器研究1_a0186568_22213856.jpg 石器の軽視または無視(?)はRHD遺跡に限ったことではなく、膨大な量の石器が出土しているかのモヘンジョ・ダーロ(現地の博物館に山積みにして展示されています)にしても、いくつかの写真と論考を目にすることができるだけです。後述(予定)のとおり、メヘルガル(Mehrgarh)遺跡におけるフランス隊、ローフリー丘陵(Rohri Hills)におけるイタリア隊などによる、限られた取り組みがあるだけです。
 それではこの資料を前に何ができるのか?とりあえず、収蔵庫の中から見つけられるだけの石器を集めてきて、分類(形態、石材)、計測(長さ・幅・重量など)、観察(打面、そのほかの技術属性など)をひたすらPCに打ち込みつつ、合い間に実測、写真撮影を行なうことにしました。ところがこの時点では、実際のところ、作業の成果について何の見通しもなかったのです...(続く)
by asiansophia | 2011-01-04 06:00 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その2) 博物館での日々

 話題があちこちに飛んで申し訳ありません。
 そもそも南アジア考古学についてはまったくの門外漢だったのですが、2004-05年に、東海大のK先生に連れられてペシャワールを訪れたのがきっかけでした。この時、館蔵資料の調査(計測・実測・写真撮影)が許可され、土器チームはグムラー遺跡、石器チームはラフマーン・デーリ遺跡の資料を収蔵庫から引っ張り出してきて作業にいそしむことになったのです。
 そして日々、朝から午後2時まで、博物館の一角で資料と向き合い、作業を続けました。
その経過と成果についてはまた後ほど。南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その2) 博物館での日々_a0186568_2318868.jpg南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その2) 博物館での日々_a0186568_23182791.jpg









南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その2) 博物館での日々_a0186568_23201538.jpg 写真はペシャワールの定宿のすぐ近く、Rahman Baba Rd.とOld Bara Rd.の交差点付近。ケバブ屋さんとサモサ屋さん、ナン屋さんです。Saddar方面まで食事に出ない日の昼食は、ここで買って宿でケバブ・サンド。その後は、昼寝or資料整理(計測データ・写真の整理、実測図のトレースなど...)の日々でした。
by asiansophia | 2011-01-03 06:00 | 南アジア考古学/SA Arch.

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その1) すべてはここから始まった!

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その1) すべてはここから始まった!_a0186568_844147.jpg ペシャワール大学の考古学・民族学博物館(Peshawar University, Sir Sahibzada Abudul Qayum Museum of Archaeology and Ethnology)です。
 2004年12月~1月を皮切りに、2006年12月~2007年1月まで、4回にわたり所蔵資料の調査をしました。
 ペシャワールは、パキスタン、カイバル・パクトゥンクワ州(旧北西辺境州)の州都で人口122万人の大都市です。大学は町の西側、University Townの中心にあり、博物館は正門を入って北東、競技場に隣接しています。
南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その1) すべてはここから始まった!_a0186568_8442266.jpg
 ペシャワール大学は地質学の研究も有名で、National COE Centerが設置され、ヒマラヤ、インド-ユーラシア衝突地域についての一大研究拠点となっています。
 もちろん考古学も!これまでにも多数の発掘調査を行ない、紀要 "Ancient Pakistan"を刊行しています。博物館は1989年に完成、先史・原史時代から歴史時代までの資料が多数展示されています。地下の収蔵庫にはさらに多数の資料が!ガンダーラ仏教美術関連の資料(仏像など)は、ペシャワール市内、CantomentのOld CityよりにあるPeshawar Museumにも多数ありますが、先史時代、とくにインダス文明とその直前の時期(初期ハラッパー文化期)の資料は、こちらの大学博物館の方がはるかに豊富です。

南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その1) すべてはここから始まった!_a0186568_8442945.jpg南アジア先史・原史考古学への道:ペシャワール編(その1) すべてはここから始まった!_a0186568_8443915.jpg








 左の写真のように、博物館の一角に作業スペースをお借りし、ひたすら分類、実測、計測を行ないました。夏は暑く、冬は寒く、休憩時間の濃い目のチャイとビスケットが慰みでした。土器を実測しているのは、現・地球環境研のUさんです。右は博物館のスタッフ。いろいろとお世話してくれたCuraterのNidaullah Seheraiさん(左)と、中央は、な、なんとIndus-Saraswatiさんではないですか!5年前の5月、まだお若いです。
by asiansophia | 2011-01-02 09:18 | 南アジア考古学/SA Arch.