人気ブログランキング |


S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリ

PJAM2012
3.11 Earthquake
Archaeology(English)
India2011
日々のできごと/ Daily life
アジア/ Asia
おでかけ/ Japan
南アジア考古学/SA Arch.
野川・多摩川/RegionalStudy
旧石器考古学/Palaeolithic
砂川・武蔵野台地北部
考古学(ジオ)
考古学(いろいろ)
雑記

最新の記事

ブログ移転のご案内
at 2012-08-15 01:41
PJAM2012#19 ハイ..
at 2012-04-07 20:00
PJAM2012#18 ヴィ..
at 2012-04-06 20:00
PJAM2012#17 砂漠..
at 2012-04-05 20:00
PJAM2012#16 フェ..
at 2012-04-04 20:00

最新のトラックバック

石器文化研究会 シンポジウム
from 黒く光る石と黒く動く虫

以前の記事

2012年 08月
2012年 04月
2012年 03月
more...

ライフログ



Ninja analyse

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

2012年 03月 22日 ( 2 )

PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2

 コート・ディジー編その2です。
 18~19世紀、シンドに覇を唱えたタルプール朝(Talpur)は、元をたどるとホラサーンからイラン全土を支配したアフシャール朝の一派なのだそうです。ということで、元来はトルクメン系ということになるのでしょうか。シンド北部に定着すると、早い時期にシンディー語を受容して現地化したようです。
 このタルプールに限らず、シンドには、古来、数多くの民族が来住し、定着してきた歴史があるそうです。言い換えるならば、多様な民族、文化が混淆して、シンドの文化と歴史がかたちづくられてきた、と言うことになるのでしょうか。
 さてシンド北部に定着したタルプールは、彼の地を支配していたカルホラ朝(Kalhora)に対抗し、何度かの戦いの後、1783年にはシンドの支配権を確立しました。こうして成立したタルプール朝の首都はハイデラバードに置かれましたが、その一族であるミール・ソーラブ・ハーン(Mir Sohrab Khan)はハイルプールに拠って、シンド北部を支配しました。
 そしてそのミール・ソーラブ・ハーンが1785~95年に築造したとされているのが、コート・ディジー城(別名アフマダバード城:Fort Ahmadabad)です。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21375969.jpg
 城は、ローフリー丘陵の延長、細長く削り残された丘の上に築かれています。
 Google mapの衛星画像で見ると、城の立地する地形がよく分かります。同時に、城の南側に広がるコート・ディジーの町が、細長い丘の上に築かれた城によって守られていることも。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21431369.jpg
 当然、城への入り口は南側、コート・ディジーの市街に面した側に設けられています。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21424561.jpg
 城門の扉には、巨大な鉄の鋲がびっしりと埋め込まれています。マッラー教授いわく、ゾウを使った攻城戦への備えなのだとか(この写真は2007年撮影)。で、左下の小さな潜り戸を抜けて、城内へ入ります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21422782.jpg
 城門の内側には平坦な広場があり、城壁で囲まれた丘の上の城塞本体へと通じる通路へとつながっています(2007年撮影)。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2148975.jpg
 現在では、階段が整備されているので登りやすくなってますよ。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2159589.jpg
 階段を登りきると、いよいよ城塞本体、へ通じる第二の城門。レンガ積みの塔と城壁でしっかりと防御されています。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2221764.jpg
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2212650.jpg
 第二の城門。レンガ積みの巨大なアーチです。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2242558.jpg
 最上層部へ、さらに登ります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2271335.jpg
 レンガ積みアーチの細いトンネル状通路を抜けると...
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2272891.jpg
 ようやく、最上層です。狭いやせ尾根状の丘の上に築かれているので、最上層部は決して広くありません。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22909.jpg
 城壁に挟まれ、狭い通路状になっているところもあります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2295826.jpg
 城壁からはコート・ディジーの町が一望できます。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22104531.jpg
 最上層部のもっとも広いところ。ここに塔(日本式に言えば本丸?)があります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22122564.jpg
 これは、貯水槽。かつては屋根が架けられていたようですね。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22213160.jpg
 これが本丸?
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22143452.jpg
 で、階段を登って本丸?の上へ。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22162356.jpg
 狭い丘の上を細長く伸びる城壁、右手はコート・ディジーの町。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22174664.jpg
 コート・ディジーの町、全景。城を築いたミール・ソーラブ・ハーンは、晩年、3人の息子にハイルプール藩王国を譲り自身は、ここコート・ディジーで余生を過ごしたそうです。その後も、コート・ディジーは首都ハイルプールと並んで重要な場所であり続けました。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22195060.jpg
 そして今でも、タルプールの一族、ハイルプール藩王国の継承者はこの町に住んでいるそうです。この丘の上の邸宅が、世が世なら王様のお住まいだとか。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22231329.jpg
 そして、われわれ考古学者がこの近世のお城に登るもう一つの目的がこれ...インダス文明の研究上欠かすことのできない重要な、コート・ディジー遺跡です。遺跡の全景写真は、必ず、コート・ディジー城の城壁から撮られているのですよ。
 ということで、1枚、パシャリ。遺跡のある、北~西側は、見渡す限りの平原で、小麦とパーム椰子、バナナなどの畑が広がっています。反対側、東~南側のローフリー丘陵とは全く正反対の景観です。
by asiansophia | 2012-03-22 20:00 | PJAM2012

新刊紹介:シリーズ遺跡を学ぶ083『北の縄文鉱山・上岩川遺跡群』

 新泉社『遺跡を学ぶ』シリーズの新刊です。


 縄文時代の石器、というとまだまだマイナーな研究分野ですが、なかなかどうして、当時の経済や社会を考えるために貴重な情報を提供してくれるのですよ。
 本書では、道路建設に先立つ調査で発見された、珪質頁岩の原産地遺跡群―原石の採掘から石器製作まで行なわれた「コンビナート」と言える遺跡ですね―の調査成果を軸に、近隣の集落における石器のあり方から、持ち運ばれ、交換され、または分配された石器を通して、技術、経済、社会を描き出そうとしています。石器の種類、かたちや名称、分類、機能と言った遺物論ではなくて、石器や石材が縄文人、縄文時代社会にどのように取り扱われていたのか、をテーマに掘り下げられているということです。

 著者の吉川さんとは...大学以来の長いお付き合いです。発掘調査や整理作業など、ずいぶんあちこちご一緒しました。遠路、シリアの調査も...
 その後、吉川さんが秋田に奉職されてからは、なかなかご一緒する機会がないのですが...でも、4年ほど前に『考古学ジャーナル』誌の「時空間の連鎖:打製石器の製作・使用」特集に、本書と関わる内容についてご寄稿いただきました(吉川耕太郎2008「東北日本における石材資源の獲得と消費」『考古学ジャーナル』No.575:23-27、ニューサイエンス社)。日本考古学では、それこそ学生として基礎を学ぶ段階から、旧石器時代、縄文時代といった時代ごとに輪切りにしてしまう傾向がとても強いのですが、秋田というフィールドで、珪質頁岩という石材を軸に、3万年におよぶ長い期間を通時代的に俯瞰することができるのが、吉川さんの強みです。
 石器石材の取り扱い方から、技術、そしてその経済的、社会的背景を通して、あらためて「時代性」を明らかにすることができるのです。

 さらに「地域」の垣根も飛び越えて、パキスタン・ローフリー丘陵のチャート原産地遺跡群と比較し、時代・地域を越えた石材開発の共通性―と、もちろん相違点―を検討し、石器をめぐる人類史を語りたいなぁ、などと空想はするのですけどなかなか実現はしませんね。
 次は、ぜひパキスタンに来てください(笑)

 あと、1点だけですが、リクエストをいただいて写真を提供しました。86ページの図62です。中央に写っているのは、L大学のA.S.さん。実は、拙著(
『武蔵野に残る旧石器人の足跡・砂川遺跡』
)にも登場してます。シリーズを通じて2冊に登場している方は希少なのではないでしょうか。しかも、遥か海を越えて(笑)

 カラー写真も満載で、お買い得です。ぜひ、お買い求めください。
吉川耕太郎著 『北の縄文鉱山・上岩川遺跡群』

by asiansophia | 2012-03-22 19:00 | 考古学(いろいろ)