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2012年 03月 21日 ( 2 )

PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1

 第2日目、お昼ご飯の後、マッラー教授とともにコート・ディジー(Kot Diji)へ向かいました。
 コート・ディジーはローフリー丘陵の南西縁にある町ですが、インダス考古学を学ぶものにとっては町の西にある遺跡の方が有名ですね。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_2262149.jpg
 SALUからは車で南へ30分ほど。昨日のローフリー・バイパス、サッカルはメイン・ハイウェイ沿いで車も人も多く行きかうにぎやかな地域でしたが、こちらはのどかな田園地帯です。ちょうど冬小麦が育ち、マスタードの黄色い花が咲いていました。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22144318.jpg
 最初に訪れたのは、街道沿いの新しい町コート・バングロー(Kot Banglo)からコート・ディジーの旧市街へ向かう道をしばらく走ったところ、小麦畑の真ん中に残されたシーシュ・マハル(Sheesh Mahal)です。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_2224153.jpg
 ここは英領時代も独立を保っていたハイルプール藩王国(タルプール朝の支流)の宮殿として19世紀後半に建てられたそうです。ムガル皇帝によりラホール城内に建てられた同名の宮殿は「鏡の宮殿」として有名ですね。ここも、モザイク・タイルとミラーワークで飾られあちこちにラホールを模倣しているような意匠が見受けられます。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22232954.jpg
 前廊部分のモザイク。残念ながら維持管理が不十分なため、痛んでいる箇所が少なからずあります。また、心ない訪問者の落書きも目立ちます...
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22283975.jpg
 前廊部分のアーチと木の扉。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22295895.jpg
 扉の上の精巧な透かし彫り。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22315919.jpg
 大広間の四周は、モザイク・タイル、ミラーワークで飾られた柱、上部にステンドグラスをあしらわれた木の扉です。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22325146.jpg
 柱には漆喰の上にミラー・タイルが嵌め込まれているのですが...残念なことにかなり剥落しています。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_2233435.jpg
 扉の上部~天井もびっしりとモザイクで飾られています。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22385658.jpg
 天井のモザイク。同じパターンの繰り返しではなく、きわめて多様なパターンが見られます。
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 側廊の天井のモザイク。
PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1_a0186568_22411382.jpg
 周囲には、崩れかけた土塀がめぐっています。ここは、かつての門の跡。
 この宮殿跡は、現在でもハイルプール藩王国の末裔の私有財産なのだそうです。今までは、一般にも開放されていましたが、最近、閉鎖すると言われているそうです。しかしこれだけの建物なのですから、しっかりと修復、保存の処置をした上で、公開されるべきでしょう。
 後で紹介する、コート・ディジー城などとともに、タールプール朝の首都だったこともある歴史の街コート・ディジーを象徴するモニュメントのひとつです。マッラー教授は、何とか所有者を説得して、保存・修復に取り組みたいと考えているようです。
 なお建物は、Google mapで確認することもできます(こちら)。
by asiansophia | 2012-03-21 20:00 | PJAM2012

横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園

 3/20春分の日は、横浜市歴史博物館へ行ってきました。奥さんが、「火の神・生命の神-古代のカマド信仰をさぐる-」を見たかったからです。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_2152267.jpg
 展示は、これでもかと考古資料が並ぶ、プロ向けのハードなものでした...ので息子1は早々につまらなくなってしまい、常設展示へ。
 最近は、博物館の映像資料にはまっていて、放っておくと1時間でも2時間でも観ています。さすがに、それはしんどいので、途中で興味を展示のほうに誘導して...江戸時代の宿場やお祭りのインタラクティブ展示にしばしはまった後、ようやくお昼にしてくれました。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_213455.jpg
 こちらはお約束の顔出しパネル。顔を出さずには気がすまないのです(笑)
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_2172896.jpg
 お昼ご飯は公園で食べましょう、ということで博物館の屋上から大塚・歳勝土遺跡公園へ。15年前は遺跡公園全体が見渡せたのに、いつのまにか高層マンションに囲まれてます。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21103252.jpg
 遺跡公園は、造成工事を逃れて残された丘の上、竹林の中の遊歩道を登って行きます。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_219586.jpg
 大塚遺跡は、弥生時代中期の環濠集落です。方形周溝墓群が見つかった歳勝土遺跡とともに、一部が保存され、遺跡公園として公開されています。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_211476.jpg
 大塚遺跡の弥生時代のムラは、環濠と呼ばれる空堀と、その外側の土手、柵列で守られていました。柵列に設けられた木戸の向こうに、復元された竪穴住居が見えます。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_2116376.jpg
 復元された竪穴住居。蚊帳浮きの屋根が丸く掘られた竪穴の上にすっぽり被さる形式です。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21161759.jpg
 中は、周囲から一段掘り下げられ、突き固められた土間になっています。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21211045.jpg
 簡単な木製の階段が架けてあり、中に下りれるようになっています。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_2116389.jpg
 もっとも、発掘したときには茅葺の屋根は残っていません。このように、丸い竪穴とその中に柱穴の跡だけが残っているのです。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21183672.jpg
 その柱穴-ここでは4本が四角く配置されています-に柱を立て、井桁状に梁を渡し、竹の骨組みの上に萱を葺いて屋根とします。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21174328.jpg
 竪穴の周囲には、彫り上げた土を積んで水などが流れ込まないようにしてあります。
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 竪穴住居の入り口部分の造り。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21233926.jpg
 こちらは、高床式の倉庫です。
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_2125577.jpg
 遺跡公園のすぐ向こうは、ショッピングモールの駐車場です。1972年に港北ニュータウンの開発に先立って発掘された遺跡は、1986年に重要性が認められて国の史跡となり保存されることになりましたが、残されたのは約1/3だけ...で、
横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園_a0186568_21301029.jpg
 残りは、切り崩されてなくなってしまいました。写真右の木立が遺跡公園、中央の道路~左のショッピングモールにかけて、本来は遺跡の範囲でしたが、いまでは宙に消えています(涙)
 全体が残されていれば、北部九州や畿内だけじゃなく、関東地方にも濠に守られた大きなムラがあったことがよく分かったのだと思うのですが...しかし最近の周辺の開発のすさまじさを見ると、一部とは言え残されたのだからよかったのかなぁ、とも...

 なお、なぜか息子1は復元住居が大好きで、大して違いがないのにもかかわらず、全件(ここでは7件)をチェックして中に入らないと気が済まないのでした。
by asiansophia | 2012-03-21 06:00 | おでかけ/ Japan