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府中市史跡 旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕
パキスタン編再開の前に、日本の近・現代遺跡について。
飛田給駅の北側、味の素スタジアムに隣接している東京都調布飛行場は、太平洋戦争直前に建設されました。当初は、羽田空港に次ぐ東京の公共用空港として開設されたのですが、太平洋戦争の間は旧日本陸軍が使用していました。とくに米軍による空襲がはじまると、首都防空の中心的な基地として戦闘機が配備されていました。そしてその戦闘機を米軍機の空襲から守るために、基地内外に多数の掩体壕が建設されました。
掩体壕というのは、盛り土やコンクリート製の掩蓋などにより航空機などを保護するための軍事施設です。調布飛行場では、航空機を空襲から守るために、飛行場の範囲外の多磨霊園や浅間山、下石原八幡神社などまで航空機を運び出して秘匿していたそうですが、掩体壕もまた、飛行場の範囲外にも多数建設されました。その総数は百基を越えると言われていますが、現存しているのはわずか4基です。
そのうちの1基が、府中市の白糸台掩体壕です。長らく個人の所有でしたが、保存状態がもっともよく、2008年に府中市の史跡となりました。
その後、発掘調査が行なわれ、保存・公開のための整備が続けられていたのですが、このたび、2012年3月29日に公開されました。
Google Mapでも、上空からの姿が映っています(こちら:別窓)。これは、整備工事前の状態ですね。
さてこの白糸台掩体壕の整備竣工記念式典と内覧会にお呼ばれしてきました。実は、先に同じ調布飛行場の掩体壕(の基礎部分)を発掘したことがあり、整備にあたって図面等を提供させていただいたという経緯からです。
調布飛行場の掩体壕については、すでに飛行場滑走路北側の武蔵野の森公園内に2基が保存・公開されていますが、残念ながら安全上、入り口は封鎖されていて内部を見ることはできません。対して、白糸台掩体壕は内部も公開されると言うことで(ただし、ふだんは内部には立ち入れません。特定の日時に見学会を行なうそうです)、軽い気持ちで中を見に行こうと思って足を運んだところ...
記念式典の来賓席、府中市議会の議員さんたちが居並ぶ末席に通されてしまいました(汗)。とりあえず、小さくなって座ってました。写真は、挨拶する府中市長。
テープカットは、市長、市議会議長、都議会議員のみなさん。
掩体壕と整備事業について説明する府中市の文化財担当のEさん。
で、こちらが整備の完了した掩体壕です。
こちらは解説板。
お待ちかねの来場者のみなさんは、さっそく壕内へ。
掩蓋内部の天井部分です。石ころだらけ...
これ、実は多摩川のかわら石です。コンクリートに、川砂ではなくて大量の石ころを混ぜてるのですね。物資不足の中、少ないセメントで掩蓋の躯体を作るための苦肉の策でしょう。国民学校の生徒まで動員して、もっこで川原から運んできたのだと言います。
こちらは型枠に使った板材でしょうか? ドーム状の掩蓋部は、まず土饅頭で型を作り、その上に、板や新聞紙などを敷き詰めてからコンクリートを流して整形したのだそうです。小さな端切れを使ったので、コンクリートに取り込まれてしまったのですね。
今から考えられると信じられないような粗悪な建材と工法です。物資不足はもちろんのこと、建設には軍の専門部隊(工兵)が従事することなく、わずかな軍人の監督の下、地元の人びとが動員されたと言うことです...
これでは、爆撃から戦闘機を守るどころか、いつ天井が崩落するか、という方が心配なくらいではないかと思いますが...
いちおう、外観からはそんな粗悪な状態がわからないように、モルタルで薄く化粧されています。でも、モルタルがはげている部分からは小石だらけなのが見えてます...
現地は、国道20号線(甲州街道)の陸橋のすぐ南側ですが、住宅街の中で少し分かりづらいかもしれません。でも最寄の西武多摩川線「白糸台」駅、京王線「武蔵野台」駅からは、案内板が経路上に整備されたので、案内に従って行けば辿りつけますよ。
これから、国道の陸橋沿いの桜も綺麗な季節なので、ぜひ!
飛田給駅の北側、味の素スタジアムに隣接している東京都調布飛行場は、太平洋戦争直前に建設されました。当初は、羽田空港に次ぐ東京の公共用空港として開設されたのですが、太平洋戦争の間は旧日本陸軍が使用していました。とくに米軍による空襲がはじまると、首都防空の中心的な基地として戦闘機が配備されていました。そしてその戦闘機を米軍機の空襲から守るために、基地内外に多数の掩体壕が建設されました。
掩体壕というのは、盛り土やコンクリート製の掩蓋などにより航空機などを保護するための軍事施設です。調布飛行場では、航空機を空襲から守るために、飛行場の範囲外の多磨霊園や浅間山、下石原八幡神社などまで航空機を運び出して秘匿していたそうですが、掩体壕もまた、飛行場の範囲外にも多数建設されました。その総数は百基を越えると言われていますが、現存しているのはわずか4基です。
そのうちの1基が、府中市の白糸台掩体壕です。長らく個人の所有でしたが、保存状態がもっともよく、2008年に府中市の史跡となりました。
その後、発掘調査が行なわれ、保存・公開のための整備が続けられていたのですが、このたび、2012年3月29日に公開されました。
Google Mapでも、上空からの姿が映っています(こちら:別窓)。これは、整備工事前の状態ですね。
さてこの白糸台掩体壕の整備竣工記念式典と内覧会にお呼ばれしてきました。実は、先に同じ調布飛行場の掩体壕(の基礎部分)を発掘したことがあり、整備にあたって図面等を提供させていただいたという経緯からです。
調布飛行場の掩体壕については、すでに飛行場滑走路北側の武蔵野の森公園内に2基が保存・公開されていますが、残念ながら安全上、入り口は封鎖されていて内部を見ることはできません。対して、白糸台掩体壕は内部も公開されると言うことで(ただし、ふだんは内部には立ち入れません。特定の日時に見学会を行なうそうです)、軽い気持ちで中を見に行こうと思って足を運んだところ...
これでは、爆撃から戦闘機を守るどころか、いつ天井が崩落するか、という方が心配なくらいではないかと思いますが...
現地は、国道20号線(甲州街道)の陸橋のすぐ南側ですが、住宅街の中で少し分かりづらいかもしれません。でも最寄の西武多摩川線「白糸台」駅、京王線「武蔵野台」駅からは、案内板が経路上に整備されたので、案内に従って行けば辿りつけますよ。
これから、国道の陸橋沿いの桜も綺麗な季節なので、ぜひ!
by asiansophia
| 2012-04-01 06:00
| 野川・多摩川/RegionalStudy