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PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2

 コート・ディジー編その2です。
 18~19世紀、シンドに覇を唱えたタルプール朝(Talpur)は、元をたどるとホラサーンからイラン全土を支配したアフシャール朝の一派なのだそうです。ということで、元来はトルクメン系ということになるのでしょうか。シンド北部に定着すると、早い時期にシンディー語を受容して現地化したようです。
 このタルプールに限らず、シンドには、古来、数多くの民族が来住し、定着してきた歴史があるそうです。言い換えるならば、多様な民族、文化が混淆して、シンドの文化と歴史がかたちづくられてきた、と言うことになるのでしょうか。
 さてシンド北部に定着したタルプールは、彼の地を支配していたカルホラ朝(Kalhora)に対抗し、何度かの戦いの後、1783年にはシンドの支配権を確立しました。こうして成立したタルプール朝の首都はハイデラバードに置かれましたが、その一族であるミール・ソーラブ・ハーン(Mir Sohrab Khan)はハイルプールに拠って、シンド北部を支配しました。
 そしてそのミール・ソーラブ・ハーンが1785~95年に築造したとされているのが、コート・ディジー城(別名アフマダバード城:Fort Ahmadabad)です。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21375969.jpg
 城は、ローフリー丘陵の延長、細長く削り残された丘の上に築かれています。
 Google mapの衛星画像で見ると、城の立地する地形がよく分かります。同時に、城の南側に広がるコート・ディジーの町が、細長い丘の上に築かれた城によって守られていることも。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21431369.jpg
 当然、城への入り口は南側、コート・ディジーの市街に面した側に設けられています。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21424561.jpg
 城門の扉には、巨大な鉄の鋲がびっしりと埋め込まれています。マッラー教授いわく、ゾウを使った攻城戦への備えなのだとか(この写真は2007年撮影)。で、左下の小さな潜り戸を抜けて、城内へ入ります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_21422782.jpg
 城門の内側には平坦な広場があり、城壁で囲まれた丘の上の城塞本体へと通じる通路へとつながっています(2007年撮影)。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2148975.jpg
 現在では、階段が整備されているので登りやすくなってますよ。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2159589.jpg
 階段を登りきると、いよいよ城塞本体、へ通じる第二の城門。レンガ積みの塔と城壁でしっかりと防御されています。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2221764.jpg
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2212650.jpg
 第二の城門。レンガ積みの巨大なアーチです。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2242558.jpg
 最上層部へ、さらに登ります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2271335.jpg
 レンガ積みアーチの細いトンネル状通路を抜けると...
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2272891.jpg
 ようやく、最上層です。狭いやせ尾根状の丘の上に築かれているので、最上層部は決して広くありません。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22909.jpg
 城壁に挟まれ、狭い通路状になっているところもあります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_2295826.jpg
 城壁からはコート・ディジーの町が一望できます。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22104531.jpg
 最上層部のもっとも広いところ。ここに塔(日本式に言えば本丸?)があります。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22122564.jpg
 これは、貯水槽。かつては屋根が架けられていたようですね。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22213160.jpg
 これが本丸?
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22143452.jpg
 で、階段を登って本丸?の上へ。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22162356.jpg
 狭い丘の上を細長く伸びる城壁、右手はコート・ディジーの町。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22174664.jpg
 コート・ディジーの町、全景。城を築いたミール・ソーラブ・ハーンは、晩年、3人の息子にハイルプール藩王国を譲り自身は、ここコート・ディジーで余生を過ごしたそうです。その後も、コート・ディジーは首都ハイルプールと並んで重要な場所であり続けました。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22195060.jpg
 そして今でも、タルプールの一族、ハイルプール藩王国の継承者はこの町に住んでいるそうです。この丘の上の邸宅が、世が世なら王様のお住まいだとか。
PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2_a0186568_22231329.jpg
 そして、われわれ考古学者がこの近世のお城に登るもう一つの目的がこれ...インダス文明の研究上欠かすことのできない重要な、コート・ディジー遺跡です。遺跡の全景写真は、必ず、コート・ディジー城の城壁から撮られているのですよ。
 ということで、1枚、パシャリ。遺跡のある、北~西側は、見渡す限りの平原で、小麦とパーム椰子、バナナなどの畑が広がっています。反対側、東~南側のローフリー丘陵とは全く正反対の景観です。
by asiansophia | 2012-03-22 20:00 | PJAM2012