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PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利

 ブルドーザーによる破壊のつめ跡も生々しかったローフリー・バイパス地区を後にして、次は、インダス文明期の都市遺跡、ラカンジョ・ダーロ遺跡へ向かいました。
PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_113511100.jpg
 当日の移動経路はこんな感じ(地図は経産省とNASAの共同プロジェクトによるASTER-GDEMのデータにもとづき、カシミール3Dで作成しています)。
PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_11371969.jpg
 ラカンジョ・ダーロ遺跡のあるサッカルへは、インダス川を渡ります。写真は、橋の上から見たサッカル・バラッジ(Sukkur Barrage)。英領インド時代の1923~32年に建造された灌漑用の取水堰です。今では、シンド州政府の灌漑・電源局が管理しており、インダス川の左右両岸を灌漑する運河への水がここから引かれています。
PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_1952538.jpg
 サッカル・バラッジとインダス川、灌漑運河をランドサット画像(ETM+GLS2000: WRS2:Path152/Row041、2000年10月18日撮影。アメリカ地質調査所USGSとNASA提供、メリーランド大学のGLCFウェブサイトから入手)で見るとこんな感じです。カシミール3Dを利用して「ナチュラルカラー」で表示しているため、植生被覆は緑、水域は紫色になっています。
 画像の上(北=右岸)に伸びるのは、ダードゥ(Dadu)、ライス(Rice)、キルタール(Kirthar)の3運河でインダス右岸を広く灌漑しており、とくにキルタール運河はカッチー平原(Kachhi Plain)の耕地化に大きく貢献しています。
 画像の下(南=左岸)に伸びるのは、ハイルプール(Khairpur)、ナラ(Nara)運河で、前者はローフリー丘陵西側のインダス平原を潤し、後者はローフリー丘陵とタール砂漠の間を流れて砂漠地帯の耕地化の原動力となっています。サッカル・バラッジから引かれた運河の灌漑面積は、左右両岸で20,000km2に及ぶとのことです。
 
PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_1935784.jpg
 こちらは橋の上から下流側を見たところ。インダス川の水位は、季節的に大きく変動します。5~6月以降、ヒマラヤからの雪解け水を集めてどんどん水位が上昇し、モンスーン季の降雨とあわせてしばしば下流部で氾濫を引き起こします。一方、冬季は渇水期となり、水位が大幅に低下します。訪問時(2月後半)は渇水期にあたり、河床が広範囲で露出しています。遠景に見える高圧線の鉄塔の基礎が、基準高水位をおおむね示しているとみてよいのでしょうか。
 これだけ水位が低下しているのは、サッカル・バラッジで堰き止めてしまっているから、ということもありますが、逆に言うと、これだけの規模で堰を築かないと渇水期に灌漑水量を確保することができない、ということでもあります。シンド州において、河川旧流路などを利用した灌漑水路網が整備されたのは18世紀のカルホラ朝(Kalhora Dynasty)、19世紀のタルプール朝(Talpur Dynasty)と言われています。
 それ以前の灌漑技術、水路網、そして耕作技術はどのようなものだったのでしょうか。より古い、インダス文明期やその成立以前を考える上で、地形と水文環境、水利開発は非常に大きな問題となるでしょう。
 ついでにもうひとつ...インダス川の流路は、歴史的に大きく変化したと言われています。今のところ、年代測定をともなう地形発達史、流路変遷の研究がほとんどないのですが、Louis Flam(Flam1993 in Himalaya to the Sea: Geology, geomorphology and the Quaternary)は、下に引用したような流路の変遷を想定しています。サッカルとローフリーの間を流れる現在の流路は、アラブ征服時代以降の地理書の記述から、10~14世紀の間に成立したと考えられています。
 Flam説によれば...現在、インダス川の右岸に接しているモヘンジョ・ダーロはもちろんのこと、シンド州のインダス文明期の遺跡はそのほとんどが、かつてはインダス左岸の平原地帯に、主流路から離れて立地していたことになります。この点については、地理、地形の専門家と協力して、ボーリング調査などを行なって、流路の変遷を年代的にあとづけていかなければなりません。
 そうした調査の実施も、マッラー教授と話し合っている壮大な野望の一部なのですが、実現するのかどうかは別にして、今回、事前に衛星画像やDEM図をチェックした上で、いくつかの地点を確認することができましたので、追って報告したいと思います。
 また、この後、インダス川を渡って訪れたラカンジョ・ダーロ遺跡でも、インダス川の変遷にかかわる状況を見ることができました。これについては、次回(予定)。
PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_19511879.jpg (10,000~4,000BP)

PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_2052346.jpg(6,000~4,000BP)

PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利_a0186568_2052920.jpg(2,500~2,000BP)

by asiansophia | 2012-03-19 06:00 | PJAM2012