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世界がいちばん寒かった頃、気候変化と人類

世界がいちばん寒かった頃、気候変化と人類_a0186568_23184575.jpg つぐみです。1月後半から職場に出没しています。寒さが緩む頃、遠くシベリアへ帰って行きます。旧石器時代にシベリアから日本列島へ渡ってきた人びとがいたならば、故郷で見たのと同じ鳥に気づいたに違いありません...
 が、しかしよく考えると、現在のシベリアを営巣地とする渡り鳥は、もっと気候が寒かった時期にはどうしていたのでしょうか? やはり、もう少し南へと営巣地を移していたのでしょうか? 以前、取り上げた古気候研究(本当に簡単に触れただけですが)に関連してPast and Future Rapid Environmental Changes: The Spatial and Evolutionary Responses of Terrestrial Biota(『過去と未来における急激な環境変化-陸棲生物の空間的・進化的応答-』)という本をパラパラとめくっていると、渡り鳥についての論考も当然ながら含まれていました。環境が変われば、生態にも影響があるのは当たり前ですね。
 では、人類の場合はどうでしょうか?



  実は、先日のナイフ・シンポを取り上げていただいた読売新聞記事の上、もっと大きく4段抜きで掲載されていた記事(読売新聞2011年2月9日朝刊文化面『東北縄文人弥生初め九州へ 稲作視察、亀ヶ岡文化を伝授』)の中に、BC900-800頃について「当時は寒冷化のため亀ヶ岡文化が存亡の危機にあったとみられる」という記述がありました。東大の設楽先生、国学院栃木短大の小林青樹先生の研究を取り上げた記事です。
 もちろん、環境は人間社会に多大な影響を与えることは間違いありません。でも、映画『デイ・アフター・トゥモロー』で描かれたような、本当に突発的かつ急激な変化でなければ、ほとんどの場合、人類社会は何らかの対応を図ってきたに違いないと思うのです。「存亡の危機」というのはどうかと...
 もっとも、人口許容量ぎりぎりのところで、最大限の生産力を保ってきた農耕社会などは、ちょっとした不安定化で一気に壊滅的な打撃を受けることもあったでしょう。また、サハラ砂漠の乾燥化のような、きわめて大規模なスケールで起きる変化の場合も、人類社会の側で可能な対応手段はきわめて限られていたでしょう。
 それでも、生業を変えたり、居住地を移したり、何らかの「変化」によって対応してきた事例が、数多く知られているのだと思います。
世界がいちばん寒かった頃、気候変化と人類_a0186568_23415717.jpg そんなことを考えていると思い出したのがこの論文(というか、この図)。Madsenらの編集によるLate Quaternary Climate Change and Human Adaptation in Arid China(『中国乾燥地帯における第四紀後期の気候変化と人類の適応』)に所収されているBarton, Brantingham & Ji (2007) Late Pleistocene climate change and Paleolithic cultural evolution in northern China: implications from the Last Glacial Maximumの中の図です。14C年代を測定された遺跡について、測定結果が、縦軸:緯度、横軸:年代のグラフの中に示されています。
 ぱっと見て分かるとおり、最新氷期最寒冷期(現在から見てもっとも直近のもっとも寒かった時期:LGM)には北緯40度以北の遺跡に居住の痕跡が見られない、という結果です。遺跡分布図をみると、この範囲はおもに現在の中国東北地方です。気候寒冷化により、遼東半島を除く東北三省は無人化したのか?!
 と焦ってはいけません。同論文でも指摘されている通り、シベリアやロシア極東地域では、LGMの間も人類の居住は続いています。日本列島や韓半島も同様です。しかしその頃、細石器の出現と拡散などの技術的な変化、あるいは行動上の変化が指摘されています。
 気候の変化によって、単純に北から南へ、寒い地域から暖かい地域へ人が移動した、というのではなく、さまざまな適応手段を採用しながら、居住形態や生活領域の再編成が進んでいく、ということでしょうか。
 日本列島の場合、相対的に南に位置することや海洋性の(比較的)穏やかな気候もあって、北海道から九州に至るまで、後期旧石器時代の各時期を通じて生活の痕跡が残されています。しかしたとえば本州中部(関東山地あたり)では、LGMには森林限界と周氷河地形が標高1,500mくらいまで下がったと言われています(『日本列島の地形学』などを参照)。これにより、山間部が無人地帯になった、とは思いませんが、資源開発が可能な範囲の縮小や季節的限定性が顕著になると、移動や居住、そして隣接する社会間の関係も変化していったに違いありません。
 遺跡分布が増えた・減った・変わった、ちょうど環境が変化した時期だ、じゃあ環境変化が人口に影響を与えたんだな、という三段論法を乗り越えて、より詳しく、何がどのように変わった結果、どのように考古資料に反映しているのか、ということを吟味していかなければならないでしょう。
by asiansophia | 2011-02-22 00:05 | 考古学(ジオ)