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石器文化研究会第250回例会
2月19日土曜日は、シンポジウムも無事終了したので、久々の遺跡見学会でした。少々寒いかな、と思ったのですが、集合時間の午後2時ころには少し暖かくなってきたので、ひと安心。
見学先は、神奈川県大和市月見野(つきみの)遺跡群上野(かみの)遺跡第14地点です。老人ホーム建設に先立ち、現在、発掘調査されています。
ということで、集合場所は東急田園都市線の「つきみ野」駅。
ほぼ時間通りに全員集まりました。参加者15名ほどでした。
で、調査を担当されている小池さんに簡単な解説をしていただいた後、周辺の過去の発掘調査地点などをめぐりつつ、調査現場へ...向かったはずなのですが、私は同行していません(汗)
な、なんとMかめさんに頼まれていたプロジェクターを家に忘れてくるという大失態!! 大急ぎで取って返しましたよ(涙) でも、府中~大和は意外と近くて片道25kmほどだということが判明。とは言え、2往復もするとさすがに疲れます...
という事情があり、以下の写真は、みなさんの集合前に午前中に見学させていただいた時のものです。見学会自体の写真は...
発掘調査区の場景です。調査範囲は1,000m2ほどでしょうか。黒土層中にはほとんど遺構がなかったとのことで、ローム層の調査に入っています。相模野台地での一般的な調査方法にのっとって、試掘坑を先に掘り下げ、遺物が出土した範囲を広げて掘っています。
上部の黒い地層が縄文時代より新しい時代、下部の黄色みを帯びた地層がローム層(立川ローム層)で、後期旧石器時代の地層です。
石器などの遺物が出土した場所を柱状に掘り残しています。ローム層中から、一定の範囲にまとまって出土していることが分かります。
もう少し低い位置から。
石器の出土位置に高低差があるのは、遺跡が埋まっていく過程で霜柱などの影響により二次的に移動したためです。最大で80cmくらいも動くことがあります。
地層のアップ。今回の調査では、B0層くらいから石器が出土しはじめ、中心はL1H層ではないかとのことです。出土しているのは、槍先形尖頭器です。
後期旧石器時代の後半~終末にかけての時期、これだけ細かく分層ができて、かつ石器群の出土層位と変化が把握されているのは、このあたりだけです。
しかしながら、やはりローム層の分層は難しく。現状でも詳細な対比に不安が残るように感じられますし、更なる細分は...層序区分としては、限界ではないかと...
別の石器出土地点。今回の調査では、このような石器出土地点(ブロック)が10ヶ所以上見つかっているそうです。
熟練の作業員さんが、エンピの薄剥ぎで石器を探りながら掘り下げています。硬いロームを、遺物に傷をつけないようにていねいに掘り下げるのはとても難しいです。
さて、今回の調査地点は、上野遺跡第6地点、同第9地点にはさまれており、一連の遺跡を構成しているようです。すなわち、L1H層(諏訪間編年段階VIII)の槍先形尖頭器を主体とする石器群の大規模遺跡なのでしょう。調査地点/または石器集中部ごとに利用石材が少しずつ異なっているようで、非常に注目すべき様相だと思われます。
目黒川沿いの崖線に面して広がる一大集結地点だったのでしょうか?
今後の調査と整理作業の成果に期待しましょう!
それにしても、遺跡周囲は完全な住宅街で、往時の場景を想像するてがかりがほとんどありません...
下の写真は、昭和39年(1964年)11月と昭和44年(1969)年6月の航空写真。月見野遺跡群の最初の発掘調査の契機となった大規模な宅地造成の前後です(大和市教育委員会作成のパンフレット「月見の遺跡群」より。同パンフレットは、大和市つる舞の里歴史資料館で配布されているそうです)。
短期間の造成工事で大幅に地形が改変されていることが分かります。
見学先は、神奈川県大和市月見野(つきみの)遺跡群上野(かみの)遺跡第14地点です。老人ホーム建設に先立ち、現在、発掘調査されています。
ということで、集合場所は東急田園都市線の「つきみ野」駅。
ほぼ時間通りに全員集まりました。参加者15名ほどでした。
で、調査を担当されている小池さんに簡単な解説をしていただいた後、周辺の過去の発掘調査地点などをめぐりつつ、調査現場へ...向かったはずなのですが、私は同行していません(汗)
な、なんとMかめさんに頼まれていたプロジェクターを家に忘れてくるという大失態!! 大急ぎで取って返しましたよ(涙) でも、府中~大和は意外と近くて片道25kmほどだということが判明。とは言え、2往復もするとさすがに疲れます...
という事情があり、以下の写真は、みなさんの集合前に午前中に見学させていただいた時のものです。見学会自体の写真は...
発掘調査区の場景です。調査範囲は1,000m2ほどでしょうか。黒土層中にはほとんど遺構がなかったとのことで、ローム層の調査に入っています。相模野台地での一般的な調査方法にのっとって、試掘坑を先に掘り下げ、遺物が出土した範囲を広げて掘っています。
上部の黒い地層が縄文時代より新しい時代、下部の黄色みを帯びた地層がローム層(立川ローム層)で、後期旧石器時代の地層です。
石器などの遺物が出土した場所を柱状に掘り残しています。ローム層中から、一定の範囲にまとまって出土していることが分かります。
もう少し低い位置から。
石器の出土位置に高低差があるのは、遺跡が埋まっていく過程で霜柱などの影響により二次的に移動したためです。最大で80cmくらいも動くことがあります。
地層のアップ。今回の調査では、B0層くらいから石器が出土しはじめ、中心はL1H層ではないかとのことです。出土しているのは、槍先形尖頭器です。
後期旧石器時代の後半~終末にかけての時期、これだけ細かく分層ができて、かつ石器群の出土層位と変化が把握されているのは、このあたりだけです。
しかしながら、やはりローム層の分層は難しく。現状でも詳細な対比に不安が残るように感じられますし、更なる細分は...層序区分としては、限界ではないかと...
別の石器出土地点。今回の調査では、このような石器出土地点(ブロック)が10ヶ所以上見つかっているそうです。
熟練の作業員さんが、エンピの薄剥ぎで石器を探りながら掘り下げています。硬いロームを、遺物に傷をつけないようにていねいに掘り下げるのはとても難しいです。
さて、今回の調査地点は、上野遺跡第6地点、同第9地点にはさまれており、一連の遺跡を構成しているようです。すなわち、L1H層(諏訪間編年段階VIII)の槍先形尖頭器を主体とする石器群の大規模遺跡なのでしょう。調査地点/または石器集中部ごとに利用石材が少しずつ異なっているようで、非常に注目すべき様相だと思われます。
目黒川沿いの崖線に面して広がる一大集結地点だったのでしょうか?
今後の調査と整理作業の成果に期待しましょう!
それにしても、遺跡周囲は完全な住宅街で、往時の場景を想像するてがかりがほとんどありません...
下の写真は、昭和39年(1964年)11月と昭和44年(1969)年6月の航空写真。月見野遺跡群の最初の発掘調査の契機となった大規模な宅地造成の前後です(大和市教育委員会作成のパンフレット「月見の遺跡群」より。同パンフレットは、大和市つる舞の里歴史資料館で配布されているそうです)。
短期間の造成工事で大幅に地形が改変されていることが分かります。
月見野と言えば...
by asiansophia
| 2011-02-20 23:27
| 旧石器考古学/Palaeolithic