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アウト・オブ・アフリカ2 南回りルートは10万年前?
1月28日付のScience誌に、'The Southern Route “Out of Africa”: Evidence for an Early Expansion of Modern Humans into Arabia' (南回りの「出アフリカ」:アラビア半島への現代型人類拡散)という論文が掲載されました。
すでに朝日、日経、読売の新聞各紙でも報道されています(いずれも1月28日朝刊)。朝日のコメントは、名古屋大博物館の門脇さんでした。時事通信は、発掘調査現場と出土石器(後述のC群の両面調整石器)を転載していますね。
論文の内容については、河合信和さんがブログで詳しく解説されていますので、ここでは個人的に興味を抱いたことなどを... あくまで私見ですので、検証は各自でお願いしますね。
既出の新聞記事、ブログとも重複しますが、一応、遺跡と調査の概要をおさらい。
遺跡名はFAY-NE1、岩陰遺跡です。アラブ首長国連邦(UAE)のシャルジャ首長国東部のファヤ山地(Jebel Faya)に位置します。詳細な位置を押さえられなかったのですが、だいたいこの辺りではないかと。論文によると、新第三紀の石灰岩からなる山地にはチャート(フリント)が豊富に産するそうです。
さて著者らの主張、そして新聞報道などが取り上げた主要な論点は、1)遺跡・遺物の年代、2)石器群が東アフリカのものと類似する、の2点ですね。
今回の論文では、上層、完新世前半の石器群(貝殻の14C年代で8,454-7,761:Marine04による暦年較正値Uerpmann et al.2009)より下位に、A・B・Cの3つの異なる石器群の出土が報告されています。なお未報告のD群、およびもう1群の石器群が最下位にあるようです。そしてこのうち、C群が今回の話題の中心。その内容は、両面調整石器(ハンドアックス)、ルヴァロワ技法による石核・剥片、立体的な(volumetric=平面的でない・ルヴァロア技法とは異なる)石刃・石核からなるとされています。しかしながら前二者は図示されているのですが、もっとも気になる三番目の石刃にかかわると思われる資料は、追加資料(Supporitng online material)にも示されていません。本格的な論文を待ちましょう。
報告された年代はOSLによるもので、C群と同層位の3つの資料について127±16、94.8±13、123±10 kaが得られています。これにより、新聞見出しの「12万年前」となるわけですね。正確には、14.3~9.35万年前の間、ということです。著者らは、寒冷なMIS6(約19~13万年前)より後、温暖なMIS5(約13~7.3万年前)の前半に相当することを重視していますが、これは現在は人類の居住に適さないアラビア半島が温暖湿潤だった時期に対応するからです。つまり、紅海を渡った人類が、さらにアラビア半島を横断してペルシャ湾岸にまでたどり着ける、ということですね。
ちなみに紅海南部では、バブ・エル・マンデブ海峡のちょっと北、ハニーシュ・アル・カビール島(Hanish al Kabir)の付近でLGMの海面最大低下期に陸橋ができたようです(Bailey2009)。おそらくMIS6の海面低下期(たとえばMIS6.2:13.5万年前)にも陸橋があったのでしょう。そしてその対岸、エチオピアからは、10~12万年前を遡る現代型人類がMSA石器群とともに見つかっています。
そして今回報告されたC群は、両面調整石器とルヴァロア、石刃の共伴が特徴。これはレヴァントとは異なり、東アフリカ(エチオピア)の特徴と共通する。故に、測定されたC群出土層位の年代には、すでに東アフリカから人類が到達していた。それはおそらく、現代型人類だったのだろう。という筋書きです。
残念ながら、今回報告された遺跡からは、人類化石は発見されていません。いまのところ、石器の技術-形態-型式にもとづく対比だけですね。
しかしながら著者らは論を進めて、北回り=エジプト~シナイ半島~レヴァントのルートよりも、南回りルートの方が早かったとします。さらに、トバ火山の新期テフラ(YTT)の巨大噴火(7.4万年前)により南アジア・東南アジアの人口が急減して、そこに現代型人類が進出したとする仮説に対しても、それより以前に到達できただろうとしています。
そこで気になるのが、今回は報告されていない最下位のD群、およびそのほか(undefined)。いったい、何が含まれているのでしょうか?
そしてもう一つ、C群には両面調整石器(ハンドアックス)が含まれるということ。実は、インドのハンドアックス石器群には10~7万年前の年代が報告されているものがあるのです。そして、YTTとの層位関係が注意されているのは、それらハンドアックス石器群なのですね。
ということは? 今回報告されたFAY-NE1のC群を携えた人たちは、やはり南アジアにも進出していた? けれどもYTTにやられてしまった?! あれ? 「南回り」ルートはどうなるんだ?
人類化石がなかなか見つからない以上、やはりしばらくの間は石器を中心に考えるしかないのでしょう。
なお、今回報告された遺跡の上層石器群やUAEの他の旧石器時代遺跡資料、さらにアラビア半島全般にかかわる問題、古環境、紅海の陸橋問題などは、M.D.Petraglia&J.I.Rose(eds.) The Evolution of Human Populations in Arabia: Paleoenvironments, Prehistory and Genetics.にまとめられています。上掲のUerpman、Baileyらの論文もここから。
(2/3追記)
発掘調査隊リーダーUerpman所属のTübingen大学のウェブサイトを参照してGoogle mapの位置を大幅修正しました。最大ズームにすると、発掘調査区のトレンチが見えます!
すでに朝日、日経、読売の新聞各紙でも報道されています(いずれも1月28日朝刊)。朝日のコメントは、名古屋大博物館の門脇さんでした。時事通信は、発掘調査現場と出土石器(後述のC群の両面調整石器)を転載していますね。
論文の内容については、河合信和さんがブログで詳しく解説されていますので、ここでは個人的に興味を抱いたことなどを... あくまで私見ですので、検証は各自でお願いしますね。
既出の新聞記事、ブログとも重複しますが、一応、遺跡と調査の概要をおさらい。
遺跡名はFAY-NE1、岩陰遺跡です。アラブ首長国連邦(UAE)のシャルジャ首長国東部のファヤ山地(Jebel Faya)に位置します。詳細な位置を押さえられなかったのですが、だいたいこの辺りではないかと。論文によると、新第三紀の石灰岩からなる山地にはチャート(フリント)が豊富に産するそうです。
さて著者らの主張、そして新聞報道などが取り上げた主要な論点は、1)遺跡・遺物の年代、2)石器群が東アフリカのものと類似する、の2点ですね。
今回の論文では、上層、完新世前半の石器群(貝殻の14C年代で8,454-7,761:Marine04による暦年較正値Uerpmann et al.2009)より下位に、A・B・Cの3つの異なる石器群の出土が報告されています。なお未報告のD群、およびもう1群の石器群が最下位にあるようです。そしてこのうち、C群が今回の話題の中心。その内容は、両面調整石器(ハンドアックス)、ルヴァロワ技法による石核・剥片、立体的な(volumetric=平面的でない・ルヴァロア技法とは異なる)石刃・石核からなるとされています。しかしながら前二者は図示されているのですが、もっとも気になる三番目の石刃にかかわると思われる資料は、追加資料(Supporitng online material)にも示されていません。本格的な論文を待ちましょう。
報告された年代はOSLによるもので、C群と同層位の3つの資料について127±16、94.8±13、123±10 kaが得られています。これにより、新聞見出しの「12万年前」となるわけですね。正確には、14.3~9.35万年前の間、ということです。著者らは、寒冷なMIS6(約19~13万年前)より後、温暖なMIS5(約13~7.3万年前)の前半に相当することを重視していますが、これは現在は人類の居住に適さないアラビア半島が温暖湿潤だった時期に対応するからです。つまり、紅海を渡った人類が、さらにアラビア半島を横断してペルシャ湾岸にまでたどり着ける、ということですね。
ちなみに紅海南部では、バブ・エル・マンデブ海峡のちょっと北、ハニーシュ・アル・カビール島(Hanish al Kabir)の付近でLGMの海面最大低下期に陸橋ができたようです(Bailey2009)。おそらくMIS6の海面低下期(たとえばMIS6.2:13.5万年前)にも陸橋があったのでしょう。そしてその対岸、エチオピアからは、10~12万年前を遡る現代型人類がMSA石器群とともに見つかっています。
そして今回報告されたC群は、両面調整石器とルヴァロア、石刃の共伴が特徴。これはレヴァントとは異なり、東アフリカ(エチオピア)の特徴と共通する。故に、測定されたC群出土層位の年代には、すでに東アフリカから人類が到達していた。それはおそらく、現代型人類だったのだろう。という筋書きです。
残念ながら、今回報告された遺跡からは、人類化石は発見されていません。いまのところ、石器の技術-形態-型式にもとづく対比だけですね。
しかしながら著者らは論を進めて、北回り=エジプト~シナイ半島~レヴァントのルートよりも、南回りルートの方が早かったとします。さらに、トバ火山の新期テフラ(YTT)の巨大噴火(7.4万年前)により南アジア・東南アジアの人口が急減して、そこに現代型人類が進出したとする仮説に対しても、それより以前に到達できただろうとしています。
そこで気になるのが、今回は報告されていない最下位のD群、およびそのほか(undefined)。いったい、何が含まれているのでしょうか?
そしてもう一つ、C群には両面調整石器(ハンドアックス)が含まれるということ。実は、インドのハンドアックス石器群には10~7万年前の年代が報告されているものがあるのです。そして、YTTとの層位関係が注意されているのは、それらハンドアックス石器群なのですね。
ということは? 今回報告されたFAY-NE1のC群を携えた人たちは、やはり南アジアにも進出していた? けれどもYTTにやられてしまった?! あれ? 「南回り」ルートはどうなるんだ?
人類化石がなかなか見つからない以上、やはりしばらくの間は石器を中心に考えるしかないのでしょう。
なお、今回報告された遺跡の上層石器群やUAEの他の旧石器時代遺跡資料、さらにアラビア半島全般にかかわる問題、古環境、紅海の陸橋問題などは、M.D.Petraglia&J.I.Rose(eds.) The Evolution of Human Populations in Arabia: Paleoenvironments, Prehistory and Genetics.にまとめられています。上掲のUerpman、Baileyらの論文もここから。
(2/3追記)
発掘調査隊リーダーUerpman所属のTübingen大学のウェブサイトを参照してGoogle mapの位置を大幅修正しました。最大ズームにすると、発掘調査区のトレンチが見えます!
by asiansophia
| 2011-02-03 02:34
| 旧石器考古学/Palaeolithic