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「ナイフ形石器文化」の成立

「ナイフ形石器文化」の成立_a0186568_14463711.jpg さて、1959年以降、「ナイフ形石器」に組み込まれたのは「切出形石器」、瀬戸内地方の「横剥ぎナイフ」だけではありませんでした。あとふたつ、1954~57年まで「Hand axeを伴うもの」「大型Blade・縦長Flakeを伴うもの」とされた一群もまた、「ナイフ形石器」の範疇に組み込まれることになりました。その根拠は、栃木県磯山遺跡における「縦長剥片の基部を打ち欠きによってわずかに整形した」「もっとも粗雑な」ナイフ形石器と「楕円形石器(のちに石斧)」の共伴であり、岩宿Iも同様の石器群とされたのです。その背景には、先にも記したとおり、岩宿Iなどの楕円形石器・石斧を、東南アジアの無土器新石器時代ホアビニアンなどと対比する見解への反論があったと考えられます。




 こうして、右上の編年表(芹沢長介1963「火山灰中の人類遺物」『第四紀研究』第3巻1・2号)に見られるように、細石器以前(このころ尖頭器は関東・中部の地域的なタイプ・ツールではないかと見られはじめていた)の大部分は、「ナイフ形石器」によって表徴されることとなりました。その範囲は、東北~九州まで、すなわち北海道と南西諸島などの島嶼部を除く、古本州島のほぼすべて、時間的には後期旧石器時代の初頭から後半まで―つまり今日一般的に「ナイフ形石器文化」の範囲と理解されるものとほぼ同じです。芹沢自身はその用語をほとんど用いることはありませんでしたが、ここに、日本列島における後期旧石器時代の主要な範囲を占める「ナイフ形石器文化」の概念が成立したと言えるでしょう。
 以後の、「ナイフ形石器」の型式細分、および組成論などにもとづく編年体系の構築は、基本的にはこの時点における芹沢のテーゼを前提としています。しかしながら、研究史上の経緯を含めてそのことに自覚的な研究者は、いったいどれ程いた(いる)のでしょうか? あるいは、あらためて自覚する必要もない前提として、「ナイフ形石器・ナイフ形石器文化」研究に埋め込まれている、と言うべきなのでしょうか?
 これが、「ナイフ形石器・ナイフ形石器文化とは何か」を問い直すための、研究史上の課題だと考えるのです。
(注:昭和4年のナイフ形石器以降の関連記事は、1/22にシンポジウム予稿集とあわせて刊行される『石器文化研究』16号に掲載予定の拙稿にもとづくものです)
by asiansophia | 2011-01-17 15:04 | 旧石器考古学/Palaeolithic