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「ナイフ形石器」の誕生
さてナイフ・ブレイド、バックド・ブレイドとして、おもにヨーロッパの後期旧石器時代の石器と対比された石器が「ナイフ形石器」と呼ばれるようになるのは、おおむね1959年ころの芹沢長介の著作・論文からのようです。たとえば1957年の『考古学ノート1 先史時代1 無土器文化』では、まだ「ナイフ・ブレイド」の用語が使われています。同時に注目すべきなのは、この時点での「ナイフ・ブレイド」とされる資料としては、茂呂(東京都)、杉久保(長野県)、茶臼山(長野県)など、石刃または縦長剥片を素材とする一群だけが含められていて(右図上)、おもに横長剥片を素材とする、とされた切出形石器(右図下)は、関連性は指摘されているものの基本的には別のタイプ・ツールとされています。そしてもう一つ、香川県井島遺跡などで知られつつあった瀬戸内地方の資料については、幾何形細石器(ジオメトリック・マイクロリス)と関連するのではないかという、当時の一般的な見方をそのまま紹介しているのです。(図出典:芹沢長介1956「日本に於ける無土器文化」『人類学雑誌』第64巻3号、日本人類学会)
つまり1957年の時点では、今日、大多数の研究者が「ナイフ形石器」のヴァリエーションに含める資料は、「ナイフ・ブレイド」「切出形石器」、そして明確には定義されていませんが「幾何形細石器に関連を有するもの」とに区分されていたのです。
ところが、1959年に刊行された『世界考古学大系〈第1巻〉日本1』所収の「ローム層に潜む文化」でや、翌年刊行の『石器時代の日本』では、「ナイフ形石器」の用語が登場すると同時に、瀬戸内地方を代表する「国府型」ナイフ形石器や、「切出形石器」などもそのヴァリエーションに含めて記述されるようになっています。
これは、資料の蓄積と分析が進んだことによるのでしょうか?
しかし実際には、新たに拡張され設定された「ナイフ形石器」の新(再)定義を見つけ出すことはできません。そこで同時代の研究史をあらためて見直すと、いくつかの重要な論点が浮彫りになります。1957年、当時南山大学にいたヨハネス・マリンガーが、イギリス王立人類学研究所のジャーナル『Man』や、ドイツ人類学研究所の機関誌『Anthropos』、スウェーデン・ストックホルム民族誌博物館の紀要『Ethnos』の各誌上に、英文・独文で、日本の「旧石器時代」あるいは「無土器文化」についての短報を発表します。
そこでは、相沢忠洋が発見した権現山I(群馬県)をジャワのパジタニアン:Pajitanianと対比しうる旧石器時代資料と評価する一方、岩宿Iなどの石斧(楕円形石器)については東南アジアの新石器時代ホアビニアン:Hoabinianと、岩宿IIの「切出形石器」などについては同じくインドネシア・スラウェシ島の新石器時代トアリアン:Toalianと対比し、「無土器新石器時代」の所産と位置づけました。
これに対して芹沢は強く反発します(芹沢長介1958「「日本の眼」と「外国の眼」」『貝塚』第72号、物質文化研究会)。上述の「ナイフ・ブレイド」から「ナイフ形石器」への転換を表明した著作の執筆も、おそらく同時期のことであったのではないかと推測されます。つまり、それまでは「ナイフ・ブレイド」と対置される別のタイプ・ツール(またはその可能性)として扱われていた資料を取り込んで、拡張された「ナイフ形石器」とした背景に、時代観をめぐる論争の顕在化があったのではないかと考えられるのです。
ここにおける芹沢の意図は、ヨーロッパ後期旧石器時代の一段階(文化)のタイプ・ツールであるナイフ・ブレイド、バックド・ブレイドの存在を基準に、「切出形石器」や「幾何形細石器」様の資料(のちに「小形ナイフ」)なども、その日本列島におけるヴァリエーションとして位置づけることにより、中石器時代あるいは無土器新石器時代説を退けることにあったのではないでしょうか?
もちろん「切出形石器」や「小形ナイフ」の編年上の位置づけについては、各遺跡や地域的な層序において、尖頭器や細石刃細石器より下位から出土することなども挙げられています。単に、定義の拡張、再編によってのみ、その位置づけを与えようとしていたわけではないことは確かです。しかし、時間的位置づけだけが問題なのであれば、逆に、それぞれを独立したタイプ・ツールとしておいても良いはずです。しかし、それらを「ナイフ形石器」の中に含めたというところに、より大きな意図を見出すことができるでしょう。
そしてここに、石刃または縦長剥片を素材とする「ナイフ・ブレイド」から広く多様な剥片を素材とするものを包摂する「ナイフ形石器」への転換、そしてそれらのヴァリエーションが一系列の文化に属していることを表すための「ナイフ形石器文化」の概念が成立したと考えられるのです。
つまり1957年の時点では、今日、大多数の研究者が「ナイフ形石器」のヴァリエーションに含める資料は、「ナイフ・ブレイド」「切出形石器」、そして明確には定義されていませんが「幾何形細石器に関連を有するもの」とに区分されていたのです。
ところが、1959年に刊行された『世界考古学大系〈第1巻〉日本1』所収の「ローム層に潜む文化」でや、翌年刊行の『石器時代の日本』では、「ナイフ形石器」の用語が登場すると同時に、瀬戸内地方を代表する「国府型」ナイフ形石器や、「切出形石器」などもそのヴァリエーションに含めて記述されるようになっています。
これは、資料の蓄積と分析が進んだことによるのでしょうか?
しかし実際には、新たに拡張され設定された「ナイフ形石器」の新(再)定義を見つけ出すことはできません。そこで同時代の研究史をあらためて見直すと、いくつかの重要な論点が浮彫りになります。1957年、当時南山大学にいたヨハネス・マリンガーが、イギリス王立人類学研究所のジャーナル『Man』や、ドイツ人類学研究所の機関誌『Anthropos』、スウェーデン・ストックホルム民族誌博物館の紀要『Ethnos』の各誌上に、英文・独文で、日本の「旧石器時代」あるいは「無土器文化」についての短報を発表します。
そこでは、相沢忠洋が発見した権現山I(群馬県)をジャワのパジタニアン:Pajitanianと対比しうる旧石器時代資料と評価する一方、岩宿Iなどの石斧(楕円形石器)については東南アジアの新石器時代ホアビニアン:Hoabinianと、岩宿IIの「切出形石器」などについては同じくインドネシア・スラウェシ島の新石器時代トアリアン:Toalianと対比し、「無土器新石器時代」の所産と位置づけました。
これに対して芹沢は強く反発します(芹沢長介1958「「日本の眼」と「外国の眼」」『貝塚』第72号、物質文化研究会)。上述の「ナイフ・ブレイド」から「ナイフ形石器」への転換を表明した著作の執筆も、おそらく同時期のことであったのではないかと推測されます。つまり、それまでは「ナイフ・ブレイド」と対置される別のタイプ・ツール(またはその可能性)として扱われていた資料を取り込んで、拡張された「ナイフ形石器」とした背景に、時代観をめぐる論争の顕在化があったのではないかと考えられるのです。
ここにおける芹沢の意図は、ヨーロッパ後期旧石器時代の一段階(文化)のタイプ・ツールであるナイフ・ブレイド、バックド・ブレイドの存在を基準に、「切出形石器」や「幾何形細石器」様の資料(のちに「小形ナイフ」)なども、その日本列島におけるヴァリエーションとして位置づけることにより、中石器時代あるいは無土器新石器時代説を退けることにあったのではないでしょうか?
もちろん「切出形石器」や「小形ナイフ」の編年上の位置づけについては、各遺跡や地域的な層序において、尖頭器や細石刃細石器より下位から出土することなども挙げられています。単に、定義の拡張、再編によってのみ、その位置づけを与えようとしていたわけではないことは確かです。しかし、時間的位置づけだけが問題なのであれば、逆に、それぞれを独立したタイプ・ツールとしておいても良いはずです。しかし、それらを「ナイフ形石器」の中に含めたというところに、より大きな意図を見出すことができるでしょう。
そしてここに、石刃または縦長剥片を素材とする「ナイフ・ブレイド」から広く多様な剥片を素材とするものを包摂する「ナイフ形石器」への転換、そしてそれらのヴァリエーションが一系列の文化に属していることを表すための「ナイフ形石器文化」の概念が成立したと考えられるのです。
by asiansophia
| 2011-01-16 20:42
| 旧石器考古学/Palaeolithic