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PJAM2012#7 ラカンジョ・ダーロ遺跡

 インダス川を渡る途中で、話題が横道にそれてしまいましたが、ようやく川を渡りきってサッカルです。
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 2011年の統計で人口85万人、シンド州北部最大の都市です。ハイルプールとは町の規模が違います。ケンタッキーもドミノ・ピザもあります。
 そんなサッカルの町の北部に、ラカンジョ・ダーロ遺跡があります。そして遺跡は、拡張する市街地に飲み込まれて、破壊の危機に瀕しています...
 遺跡は、1994年以来、SALUにより調査が進められ、2006年以降は、工場建設による遺跡破壊に直面しての事前調査も行なわれています。パキスタン考古局や、パンジャーブ大学との共同調査も実施されているそうです。
 遺跡は、西、中央、東の3つのマウンド(群)からなり、総面積は50ha以上、これまでの調査ではモヘンジョ・ダーロと同じような、排水施設をともなう道路などが発掘されており、シンド州ではモヘンジョ・ダーロに継ぐ第2の規模の都市遺跡だと考えられています。
 2/20は、まず西マウンドに行きました。いきなり、とても細粒のシルトの丘です。
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 このシルトが道路にまで流れ出していて、車がスタックしそうなほどです;
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 そして、いったい、どこが遺跡なのか困惑するのですが...
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 実はこの西マウンドは土取りによって大規模に破壊されているのです。削り残された壁には、土器やらレンガやらがむなしく残されています。
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 そこかしこに巨大な穴が...
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 生々しいパワーショベルの爪痕も...
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 マウンドの背後には、露天のレンガ工場があります。掘り出されたシルトは、煉瓦作りの材料となっているのです。
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 ということで大規模に破壊されてしまっているのですが、そのために遺跡を覆う堆積物の状態が断面でよく観察できます。
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 ここでは、インダス文明期の都市遺跡を包含する地層の上に、1.5~2mもの厚さのシルト層が一面に堆積している(していた)のです。これはおそらく、かつてのインダス川またはその支流の洪水堆積物なのでしょう。この洪水堆積物がいつのものなのか、インダス文明期の都市と関わりがあるのかどうかは大変興味深いところです。OSL年代測定が可能ではないかと思われますので、文化層中に残されているだろう炭のAMS年代とあわせて測定し、検討してみたいところです。
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 西マウンドをぐるりと一周した後は、車で中央マウンドに移動しました。A地点はすでに工場の敷地の下、最近発掘調査を行なったC地点も工場の建設予定地だったそうですが、今のところ工事はストップされているとのこと。マッラー教授らが、調査の成果と遺跡の意義を、州政府や高等教育委員会(大学を管轄する部局)などに訴えた効果でしょうか。
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 ここでは、先述の通り排水路を備えた街路と建物が発掘されているそうです。インダス式印章も発掘されています。
 ここは2010年の発掘区、色の異なる砂で埋め戻されている範囲が発掘調査区です。
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 同じく、埋め戻されて保存されている発掘調査区。土層観察用のベルトの位置がよく分かりますね。
 現在、SALUでは、発掘調査報告書を刊行すべく準備中ということで、今シーズンは発掘調査は行なっていませんでした。

 広大な遺跡範囲に対して、実際に発掘調査のメスが入れられているのはごく一部に過ぎません。都市の一角にあって、開発と遺跡保護の両立が非常に難しい状況にあるようです。しかしこれだけの規模のインダス文明の都市遺跡は、数少なく、大変貴重な遺跡であることは間違いありません。
 マッラー教授らSALUの調査と遺跡保護への取り組みを、何とかバックアップしたいところです。
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# by asiansophia | 2012-03-20 06:00 | PJAM2012

「中国で発見の化石、未知の人類か」

 ナショナル・ジオグラフィック・ニュースの記事から
「中国南部で見つかった石器時代の骨は、未知の人類のものかもしれない。議論を呼んでいる最新研究によると、この人類は突出したアゴと眉弓を持ち、シカの肉を食べ、洞穴に暮らしていたという。
 この「謎の人類化石」は、1万1500年前というごく最近に現生人類と共存していた、まったく新しい種の可能性もあると、中国とオーストラリアの研究チームは主張している。
 あるいはこの化石は、アフリカを出て東アジアへ移り住んだ、現生人類のごく初期のグループかもしれないという。
 またあるいは、彼らの主張に懐疑的な一部研究者に言わせると、化石はわれわれがすでに知っている事実、つまり、人間の姿かたちや大きさは多様であるということを示しているにすぎないのかもしれない。 」
(イラスト:雲南省馬鹿洞人の復元想定図by Peter Schouten、写真:広西チワン族自治区隆林洞穴出土の頭蓋骨by Darren Curnoe。ナショナル・ジオグラフィック・ニュースWebサイトより)

 原著論文は、オンライン学術誌PLos ONE(ダウンロード・フリー)に、3/14付で掲載された、Human Remains from the Pleistocene-Holocene Transition of Southwest China Suggest a Complex Evolutionary History for East Asians(南西中国で発見された更新世-完新世移行期の人類遺体は東アジアにおける人類進化史の複雑さを示唆する). Darren Curnoe, Ji Xueping, Andy I. R. Herries, Bai Kanning, Paul S. C. Taçon, Bao Zhende, David Fink, Zhu Yunsheng, John Hellstrom, Luo Yun, Gerasimos Cassis, Su Bing, Stephen Wroe, Hong Shi, William C. H. Parr, Huang Shengmin, Natalie Rogers (2012) PLoS ONE 7(3): e31918. doi:10.1371/journal.pone.0031918です。筆頭著者はオーストラリア、シドニーにあるニューサウスウェールズ大の研究者、ほかオーストラリアと中国・雲南省の研究者を中心とした共同研究チームのようです。
 研究の対象となったのは、雲南省紅河哈尼(ハニ)族彝(イ)族自治州蒙自県に所在する馬鹿洞(Maludong)の発掘調査で出土した人骨群で、さらに広西壮(チワン)族自治区百色市隆林各(ゲ)族自治県徳峨糸近郊に所在する隆林(Longlin)洞窟から1979年に地質学者によって発見されていた頭骨も検討されたようです。
 研究チームは、これら2地点の化石人骨は同じ人類集団に帰属するものと考えており、現代人には通常見られない特徴があると指摘、これらの化石が、炭化物のAMS年代測定と、鍾乳石のウラン・シリーズ年代測定により、1.43~1.15万年前のものであるとしました。その上で、1)北アフリカ・モロッコのDar-es-SoltaneおよびTémara遺跡や、広西壮(チワン)族自治区崇左市知人洞(Zhirendong)から出土した人骨が示唆するように古代型ホモがより新しい時代まで生き残っていた可能性、または2)現代人の出アフリカは何波もありその中により古い形質を反映した集団がいた可能性を指摘しています。
 この研究は、基本的に化石人骨の形質と年代にもとづくものであり、たとえば「デニソワ人」が脚光を浴びたような古人骨から抽出したDNAにもとづくものではありません。そして化石人類の形質をめぐる議論は、しばしば錯綜します。ナショナル・ジオグラフィック・ニュースに見られる反対論者のコメントが、それを象徴しているようです。
 ちなみに、共同研究グループが類例として指摘した知人洞の人骨は、ナショナル・ジオグラフィック・ニュースで反対意見を述べているエリック・トリンカウスらが、先に「東アジアにおける現代人の最古の例」として報告したものであり(2010年、アメリカ科学アカデミー紀要に掲載の論文)、今回、このような引用をされれば黙っていないのは道理、トリンカウスは、馬鹿洞、隆林洞窟も現代人の変異の幅におさまると反論していますね。ちなみに、知人洞からは下顎骨と歯しか出土していないので、現代人と特定できるのかどうかと言う反論が出されていたようです。
 ここはやはり、DNAの抽出に成功しない限り、議論が並行線をたどるような気がします...
 あえて研究チームの主張に沿ってみると、中国南部から東南アジアにかけて、後期旧石器時代相当の年代になっても、「原始的」に見える礫器が続くこと、それらの遺跡はたいがい山間部の洞窟で発見されていることと関連しているかのように考えられます。また、その年代は明らかに完新世に入っており、中国南部における最古の土器の年代よりも新しい...新石器時代の胎動を迎えた現代型人類と、古代型の人類が並存していたのか...などと想像力を掻きたてられますが...
 共伴する石器や、洞窟内における生活の痕跡などについて詳しく調べる前に、先走りは禁物ですね。

 いずれにしても、今後の研究と議論の展開には要注目です。
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# by asiansophia | 2012-03-19 20:00 | 旧石器考古学/Palaeolithic

PJAM2012#6 シンド州北部におけるインダス川の水利

 ブルドーザーによる破壊のつめ跡も生々しかったローフリー・バイパス地区を後にして、次は、インダス文明期の都市遺跡、ラカンジョ・ダーロ遺跡へ向かいました。
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 当日の移動経路はこんな感じ(地図は経産省とNASAの共同プロジェクトによるASTER-GDEMのデータにもとづき、カシミール3Dで作成しています)。
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 ラカンジョ・ダーロ遺跡のあるサッカルへは、インダス川を渡ります。写真は、橋の上から見たサッカル・バラッジ(Sukkur Barrage)。英領インド時代の1923~32年に建造された灌漑用の取水堰です。今では、シンド州政府の灌漑・電源局が管理しており、インダス川の左右両岸を灌漑する運河への水がここから引かれています。
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 サッカル・バラッジとインダス川、灌漑運河をランドサット画像(ETM+GLS2000: WRS2:Path152/Row041、2000年10月18日撮影。アメリカ地質調査所USGSとNASA提供、メリーランド大学のGLCFウェブサイトから入手)で見るとこんな感じです。カシミール3Dを利用して「ナチュラルカラー」で表示しているため、植生被覆は緑、水域は紫色になっています。
 画像の上(北=右岸)に伸びるのは、ダードゥ(Dadu)、ライス(Rice)、キルタール(Kirthar)の3運河でインダス右岸を広く灌漑しており、とくにキルタール運河はカッチー平原(Kachhi Plain)の耕地化に大きく貢献しています。
 画像の下(南=左岸)に伸びるのは、ハイルプール(Khairpur)、ナラ(Nara)運河で、前者はローフリー丘陵西側のインダス平原を潤し、後者はローフリー丘陵とタール砂漠の間を流れて砂漠地帯の耕地化の原動力となっています。サッカル・バラッジから引かれた運河の灌漑面積は、左右両岸で20,000km2に及ぶとのことです。
 
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 こちらは橋の上から下流側を見たところ。インダス川の水位は、季節的に大きく変動します。5~6月以降、ヒマラヤからの雪解け水を集めてどんどん水位が上昇し、モンスーン季の降雨とあわせてしばしば下流部で氾濫を引き起こします。一方、冬季は渇水期となり、水位が大幅に低下します。訪問時(2月後半)は渇水期にあたり、河床が広範囲で露出しています。遠景に見える高圧線の鉄塔の基礎が、基準高水位をおおむね示しているとみてよいのでしょうか。
 これだけ水位が低下しているのは、サッカル・バラッジで堰き止めてしまっているから、ということもありますが、逆に言うと、これだけの規模で堰を築かないと渇水期に灌漑水量を確保することができない、ということでもあります。シンド州において、河川旧流路などを利用した灌漑水路網が整備されたのは18世紀のカルホラ朝(Kalhora Dynasty)、19世紀のタルプール朝(Talpur Dynasty)と言われています。
 それ以前の灌漑技術、水路網、そして耕作技術はどのようなものだったのでしょうか。より古い、インダス文明期やその成立以前を考える上で、地形と水文環境、水利開発は非常に大きな問題となるでしょう。
 ついでにもうひとつ...インダス川の流路は、歴史的に大きく変化したと言われています。今のところ、年代測定をともなう地形発達史、流路変遷の研究がほとんどないのですが、Louis Flam(Flam1993 in Himalaya to the Sea: Geology, geomorphology and the Quaternary)は、下に引用したような流路の変遷を想定しています。サッカルとローフリーの間を流れる現在の流路は、アラブ征服時代以降の地理書の記述から、10~14世紀の間に成立したと考えられています。
 Flam説によれば...現在、インダス川の右岸に接しているモヘンジョ・ダーロはもちろんのこと、シンド州のインダス文明期の遺跡はそのほとんどが、かつてはインダス左岸の平原地帯に、主流路から離れて立地していたことになります。この点については、地理、地形の専門家と協力して、ボーリング調査などを行なって、流路の変遷を年代的にあとづけていかなければなりません。
 そうした調査の実施も、マッラー教授と話し合っている壮大な野望の一部なのですが、実現するのかどうかは別にして、今回、事前に衛星画像やDEM図をチェックした上で、いくつかの地点を確認することができましたので、追って報告したいと思います。
 また、この後、インダス川を渡って訪れたラカンジョ・ダーロ遺跡でも、インダス川の変遷にかかわる状況を見ることができました。これについては、次回(予定)。
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# by asiansophia | 2012-03-19 06:00 | PJAM2012

PJAM2012#5 ローフリー・バイパス地区その2

 前回の続きです。マッラー教授がせっかく連れてきてくれたローフリー丘陵バイパス地区...
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 ブルドーザーのキャタピラ痕がくっきり残る、とても悲しい事態になっていました...
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  気を取り直して、別地点-というか、削平されてしまった地点の尾根の続きで、まだ採掘が及んでいない地点に移動しました。
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 草一本生えていない荒漠とした平らな地面の上に、びっしりと石がころがってます。
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 その大半は、石灰岩の石ころなんですが... よく見ると、そこかしこに石器があるわけです。それも、ものすごい数が、あちこちに集中部を形づくっています。この写真に写っているものも...よく見れば大型・厚手のフレイクです。
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 そんな中にハンドアックスの作りかけもあったりします。スケール代わりにポータブルGPS(Oregon Garmin550)を置いてみました。約12cmです。
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 丘陵の頂部は、ずっとこんな景観が広がってます。なお、遮るものもなく日差しが強そうに見えますが...2月中旬は20年以上ぶりの寒波に襲われたということで、日中も20度台前半と過ごしやすかったです。が、あと1~2ヶ月もすると、日中は40~50度まで上昇すると言う...
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 そして丘陵の頂部には、ところどころにきめ細かいシルト質の堆積物が三日月状に広がっている箇所があります。この写真では真ん中~右半分に写っているのですが分かりますでしょうか?
 実はコレ、インダス文明期の人びとが地面を掘り返してチャートの原石を入手した採掘坑の跡なのです。バイパス地区ではまだ発掘は行なわれていませんが、シャデー・シャヒード地区でイタリア隊とSALUの共同調査が行なわれ、そのときの発掘により明らかになりました。
 以下、参考までに5年前(2007年3月)の訪問時に、ヴィーサル教授にご案内いただいたシャデー・シャヒード地区の写真です。
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 やはり三日月状に広がる採掘跡。
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 唯一発掘された採掘跡。
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 採掘坑の底には、取り出されなかったチャートの原石が残っています(レンズキャップの脇)。採掘の結果できたこのような穴を、きめ細かいシルトが埋めた結果、地表から見ても分かる状態になった、というわけです。
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 ちょっと離れたところに、インダス文明期(またはその直前のコート・ディジー文化期)の石器製作地点が広がっていました。地表には、特徴的な石刃石核が落ちています。
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 ふたたび、ローフリー丘陵の地形、景観。
 この後は、インダス川の対岸、空港のある町サッカルの市内に残されている、インダス文明期の都市遺跡、ラカンジョ・ダーロ(Lakhan Jo Daro)を見に行きました。詳しくは、また、次回。
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# by asiansophia | 2012-03-18 18:00 | PJAM2012

エジプトにおける遺跡の破壊・略奪

 エジプトで長期独裁を続けていたムバラク政権が崩壊して1年が経ちました。
 「革命」の最終局面では、カイロの考古博物館が略奪を受け貴重な文化遺産が破壊されたのをはじめ、各地の遺跡や博物館、収蔵庫などが被害にあったというニュースが相次ぎました。骨董の闇市場での換金可能性から、人命にかかわらずともアピール性が高いという判断、一方で保護する立場からは市民の生命・安全より順位を低くせざるを得ないという状況まで、文化財が手っ取り早く狙いやすいソフト・ターゲットになる傾向は強まっているようです。
 そして「革命」から1年、エジプト国内は「革命」後の政治体制をめぐってまだ混乱が続いているようです。そのような中で、遺跡・文化財の危機的な状況についてのニュースが入ってきました。
 現場は、アメリカ、カリフォルニア州立大学バークレー校が発掘調査を継続している、カイロの南のEl Hibeh遺跡です
 
 
(上記2点の画像は、U.C.Barkleyのサイトより)

 以下、Facebook上でUCバークレーの古代史・地中海考古学研究所のCarol Redmount准教授らが立ち上げたページの情報を中心に、現状を紹介します。
 なお、インターネット上での情報の共有・拡散と関係機関等への情報提供、要望の提出などにより、現地紙での報道や、関係機関が対応を表明したりしているようですが、3/17には、略奪者たちがブルドーザーを持ち出して墓地の破壊と略奪を行なっているとの情報も入りました。何らかの対策がとられる前に、奪えるだけのものは奪ってしまおうということなのではないか、とのことです。

'Save El Hibeh Egypt'(Facebookページ:オープン・グループ)
「エジプトの歴史に関心を抱くすべての方へ:
 現在、エジプト中の遺跡が深刻な略奪の危機に瀕しています。カイロの南3時間に所在するEl Hibeh遺跡もそのひとつです。これらの遺跡が略奪を受けたならば、貴重な情報が永遠に失われることになるでしょう。それらを再生することは不可能なのです。El Hibehは、第3中間期のほとんどかく乱されていない都市のマウンドとして重要な遺跡です。都市はBC1070頃、ルクソールまたはテーベのアモン神官により創建され、その後もプトレマイオス朝期、ローマ、コプト、初期イスラム期に至るまでの1,700年間の重要な遺構が残されています。私たちはこのグループ・ページに、遺跡や略奪の状況の写真、この問題に冠する記事などを投稿します。そして、あなたがたが、可能なときに可能な場所で、この問題を世界に広め、このグループに友人を集め、注意を喚起することを期待しています。私たちは、2011年1月28日以降、警察による十分な保護がない中で深刻な被害を受けているEl Hibehとそのほかの数百の遺跡を守るために立ち上がらなければなりません。」
「なぜこのグループを立ち上げたのか:
 私たちのHibehでの最後の発掘は2009年に行なわれました。その後、さまざまな理由により調査を再開できずにいました。2011年1月革命以降、関係者とコンタクトを取り、みなほとんど無事であることを確認しましたが、一方で遺跡の略奪についての話も耳にしました。そし実際に、遺跡は「非常に深刻な状態にある」と聞かされたのです。私は、5月に遺跡を訪問した人びととによって撮影された写真を見るまで「非常に深刻な状態」が何を意味しているのか分かっていませんでした。その後も、6月、12月、2012年1月に、略奪の写真が送られてきました。遺跡の北の村の住人が、夜間に略奪を続けているが、誰もこの住人を捕まえられないのだと聞きました。私がこの2月にエジプトに到着するまでの状況は以上の通りです。
 そして2月中旬に私はエジプトに赴き、SCAとの契約にサインし、調査を開始する準備を整えました。調査を開始しようとしていた前日に、私は、地元の警察がわたしたちの調査許可を渋っているとの電話を受けました。要するに、遺跡の北の村の「ギャング」が遺跡略奪のマフィアを形成していると言うのです。この犯罪者は、革命後に刑務所を出た殺人犯でした。彼のマフィアは遺跡の大規模な略奪をやめずにいます。私が、先週、調査隊宿舎からカイロへ戻る途上、わたしたちのバンにのって遺跡のそばを通り過ぎたとき、10人の男が、近くにオートバイを停めておいて大っぴらに遺跡を盗掘しているところを目撃しました(私たちは彼らの写真を撮りました)。
 わたしたちの運転手のひとりは金曜日に同じ道を通り、大勢の男が日中、大々的に盗掘していたと報告してきました。これは、現在進行中の危機です。彼らは遺跡を破壊し続けています。SCAの担当者は盗掘・略奪を止めるためにあらゆる努力をしています。しかし何ら効果をあげていません。警察はこの状況を無視しているのか、見てみぬふりを決め込んでいるのか、またはもっと悪い状況かもしれません。」

※関連サイト・記事
'Massive looting at El Hibeh, Egypt' (Past Horizons: adventures in archaeologyの記事)
 盗掘により破壊され、人骨や遺物が散乱した墓地の写真などが公開されています。


'El Hibeh destruction continues' (Nile Wave Travel: it's all about Egyptの記事)
 地元紙の記事の画像。掘り出されて放棄されたミイラ...


"Protect Egypts Archaeological Sites"
 エジプトの考古局や政府に提出する署名をネット上で集めているサイト。氏名、メールアドレス、国名、郵便番号を入力すると署名できます。
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# by asiansophia | 2012-03-18 11:17 | 考古学(いろいろ)