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日本旧石器学会第10回大会のご案内

 季節の変わり目のせいか、帰宅して夕飯を食べるとそのまま気絶したように寝てしまいます...というわけで、書きためておいた記事もあっと言う間に底をついてます(言い訳)

 さて本日は、日本旧石器学会第10回大会のお知らせ


 2012年大会は、6月23日(土)、24日(日)に、奈良市の奈良文化財研究所 平城宮跡資料館で開催します。独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所との共催です。

 日程・プログラムは以下の通りです。

6月23日(土)
 総 会 (13:00~14:00)
 記念講演(14:15~15:15) :中央アジアの旧石器時代 Z.タイマガンベトフ氏(カザフ国立大学)
 一般研究発表(15:30~16:30)
 シンポジウム(16:35~17:30)
 「旧石器時代遺跡・立地・分布研究の新展開-『日本列島の旧石器時代遺跡』データベースの到達点と展望-

  趣旨説明
  基調講演:旧石器データベースHacks! 近藤康久
 懇親会

6月24日(日)
 シンポジウム(9:00~15:30)
  1「日本の旧石器時代遺跡」データベースの成果と応用
  基調報告
   1-1.「日本の旧石器時代遺跡」データベースが明らかにしたものと明らかにすべき課題 光石鳴巳・小菅将夫
   1-2.地形・地質・考古遺跡情報の連係と旧石器時代遺跡の立地・構成 野口 淳
   1-3.北海道における旧石器遺跡の分布と立地 高倉 純・小杉 康
   1-4.相模野台地における黒曜石利用の時空間的変遷 諏訪間 順
   1-5.九州、後期旧石器時代~縄文時代初頭の遺跡立地、分布 芝 康次郎
  2 遺跡データベース、GIS考古学の展開
  基調報告
   2-1.ヨーロッパにおける中期‐後期旧石器時代遺跡の時空間分布 佐野勝宏
   2-2.縄文時代の葬制・祭祀研究におけるデータベース構築と分析手法の開発 中村 大
   2-3.DEMによる地形解析と遺跡間分布の検討 千葉 史
  コメント
  パネル・ディスカッション

 ポスター発表
  会場:平城宮跡資料館 企画展示室
  日程:6月23日(土)~24日(日)
  *コアタイムは24日12:00~13:00

 会場への交通案内:
 近鉄大和西大寺駅下車、徒歩5分。奈良文化財研究所本庁舎の東側です。

  ※駐車場はありませんので、お車でのご来場はご遠慮ください。

 宿泊:各自でご手配下さい。会場周辺には、多数のホテル・旅館があります。JR・近鉄奈良駅、近鉄新大宮駅周辺の宿泊施設が便利かと思われます。

 参加申し込み:
 日本旧石器学会員 ニュースレター20号の送付時にハガキを同封します。必要事項を記入の上、6月15日までに、事務局までお申込み下さい。また、やむを得ず欠席する場合は、会則第5条により、欠席の委任状を含め全会員の5分の1以上の出席をもって総会が成立しますので、同ハガキ下段に記載された委任状に記入、捺印のうえ投函願います。
 なお、学会員以外の一般参加も可能です。当日、予稿集代(予価1,500円)がかかります。
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by asiansophia | 2012-03-31 17:50 | 旧石器考古学/Palaeolithic

PJAM2012#12 ヴィーサル・ヴァレー地区遺跡群へ(その1)

 さて、いよいよ第4日目(2/22)です。お待ちかね(の人は数限られてると思いますが...)砂漠の中の旧石器時代遺跡へGo!です。
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 出発前に、本日の装備。左から、デジカメ(Pentax ist*DS2:6年目)、ノートPC(ASUS EeePC1015PX:安さと軽さ(1.1kg)、バッテリー駆動時間の長さだけが取り柄)、ポータブルGPS(Garmin Oregon550)。PC画面に映っているとおり、マッラー教授、ヴィーサル教授らがこれまでの調査で記載してきた遺跡・地点の位置を、地図(ここではランドサット画像)に投影、これを切り出してGPSに流し込み、現地で歩きながら位置を再確認・同定し、さらに必要に応じてDEM(今回はASTER-GDEMを使用)と照合して地形を確認しようという試み。具体的な手順と結果はまた後ほど。概略を知りたい方は、まずはこちら(『フィールドワーカーのためのGPS・GIS入門』)をお読みください。
 さて、この日はマッラー教授だけでなく、ヴィーサル教授やマダム・タスリームほか、研究室・博物館スタッフ総出で朝イチで出かけようということでしたので、9時半(これでも朝イチ)には博物館に行ったのですが、案の定、まだ誰もおらず... そのうちにマダム・タスリームが登場、チャイをいただこうとしているところでようやくヴィーサル教授も登場。結局、なんだかんだで出発の準備が整ったのは11時頃でした。でも、気にしない、気にしない(笑)
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 当日の行程は、ざっとこんな感じ。前日に訪れたコート・ディジーの町をはるかに過ぎて、丘陵の南端に回りこんで砂漠に入ります。ASTER-GDEMを用いたDEM図ですが、三日月形の擬バルハン型(Barchanoid)砂丘列の形状が分かるかと思います。
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 コート・ディジーの町を過ぎてさらに南で、インダス川(またはその支流)の旧流路に残された湿地。インダス川の流路変遷については3/19の記事でも触れていますが、衛星画像や遺跡分布との関連についてはまたそのうちにまとめます(たぶん)。
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 こちらは、コート・ディジーの南西のクムバート(Kumbat)の町。ここから、ハイウェイを外れて、ターリ・ミルワー(Thari Mirwah)へと向かいます。
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 ひたすら、まっ平あんど小麦畑orパーム椰子畑orバナナ畑。
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 ターリの町は、タール砂漠の西縁にあたり、ハイルプール運河から枝分かれしたミルワー運河が町の中央を南北に流れています。人口は(たぶん)1万人くらい(ヴィーサル教授談)。ミルワー運河の灌漑水利による農業が中心の町です。
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 ターリーの町の東にも旧流路跡の湿地がありました。これらの湿地は季節的に水位がかなり変動するようです。マッラー教授いわく、現在ではこれらの湿地は農業用水には利用されないとのこと。利用されているのは、すべて灌漑用運河およびその分水なのだそうです。
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 ターリの東は、美しい小麦畑が広がっています。でも、Google Mapの衛星画像を見ると、もう砂丘列の間なんですね。リンク先(別窓)の地図の左にThari Mirwahの町があり、Thari Naro Rd.を東へ向かっているところです。ミルワー運河からの分水が到達している範囲は、どんどん耕地が開かれて新たな村ができているとのことです。
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 護衛のアブドゥル・カディールとムバーラク。この日は、マッラー教授、私と同じ車だったので少々お静か...ですが、地元の皆さんやKさんと同じ車のときは、まぁにぎやかだったそうです(笑)。
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 そして、いよいよ道端も砂っぽくなってきました。
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 緑の畑の向こうには、砂丘(高さ30~50mくらい)が見えてますね。
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 2012年時点でもっとも東に開かれた村と耕地を過ぎると...
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 そこはもう砂漠です。なお、最近(ここ2、3年のうち)、きれいな舗装道路が整備されたので車で簡単にアクセスできるようなりましたが、それ以前は、4WDかトラクター、ラクダでないと行き来が容易でなかったと言うことです。
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 このあたりの砂丘は、幅1km、高さ50~70mくらいの三日月形か、それがいくつか連なった形状のものです。少なからず植生がありますが、基本的には遊牧民以外は生活していません。
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 そんな砂漠の一角に、お目当てのヴィーサル・ヴァレー地区遺跡群があるのですが...
 以下、次回。
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by asiansophia | 2012-03-27 20:00 | PJAM2012

PJAM2012#11 コート・ディジー遺跡

 2012年パキスタン調査旅行2月場所報告、第11回目にしてまだ3日目です。
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 前回まで2回にわたって紹介したコート・ディジー城。現在のハイウェイ側から見たところ。
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 そしてハイウェイを挟んで反対側に、コート・ディジー遺跡があります。
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 マウンドの規模は130×100m、一見するとあまり大きく見えませんが、1955年にF.A.ハーンにより実施された発掘調査により、基盤まで10mの堆積中に16層が識別され、先インダス文明期(コート・ディジー文化期)からインダス文明期までの変化が層位的に確認されたことで、インダス文明の成立過程を考える上でもっとも重要な遺跡のひとつとなりました。
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 なお、マウンド部だけでなく、その東~南東裾、ちょうどマウンドとコート・ディジー城の立地する丘の間にもローワー・タウンと呼べる遺跡が広がっているようです(マッラー教授談)。
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 一方、遺跡の北~西はインダス平原の沖積低地です。
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 北側の発掘トレンチ跡。マウンドの裾部は石積みでいちおう補強されているようです。
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 上段にもかなり石積みが見えます。シンド州のインダス平原部は石材に乏しいため、インダス文明期の建物は、ほとんどが日干しレンガか焼成レンガ積みです。しかし、ここコート・ディジー遺跡では石灰岩がかなり多用されています。もちろん、この石は、遺跡の目と鼻の先、ローフリー丘陵でふんだんに入手可能なのものです。そして現代でも、建築用の石材はほとんどがローフリー丘陵から切り出されて平原部の都市、町へとトラクターやトラックで運ばれています。
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 石積みと、トレンチの壁に残された堆積。トレンチ壁の穴は、鳥の巣穴...
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 そしてマウンド上にはびっしりと土器片が...
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 マウンドの最上部で写真を撮りまくる(?)Kさん。残念ながら、発掘調査後に埋め戻しがなされず、なんら保護の措置がとられていないので、トレンチ壁は鳥の巣穴だらけ、崩落し放題、侵食が進んでいます。ちなみにマウンド部の状況は、GoogleMapの衛星画像からも確認できます。
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 というわけで、16層のうち最上部はこれしか残っていません。再発掘、再検証をしようにも、これでは...
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 こちらはF.A.ハーンによる主要発掘区側。ここでも、トレンチの掘削が及んでいる範囲は、その後のダメージも相当です。マッラー教授らは、再発掘を実施するとともに地元(ハイルプール県)とも協力して博物館を建設したいと考えているようですが、果たして...でも、実現に向けてできることをはお手伝いしたいところです。
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 そして再発掘に向けて気になるものがこちら...遺跡のほぼ全周で観察される炭の層です。いったいこれは...???
 ハラッパー式土器やら、腕輪やら、ビーズやら、とにかく、ちょっと歩くと色んなものが拾えてしまいます。それだけ、包含層が浸食されて重要な記録が失われ続けていると言うこと。何とか、手を打たないといけない状況です。
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 そんなシビアな状況を語り合いつつ(?)記念撮影。Kさん、マッラー教授、護衛のアブドゥル・カディール(左)とムバーラク(右)。
 この日は夕方に大学(SALU)に戻りました。
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 で、夕飯はまたしてもチキン・カラヒとサブジでした。でも、美味いので食べ過ぎ気味。
 さて次回はいよいよ第4日目、砂漠の旧石器時代へ向かいますよ。
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by asiansophia | 2012-03-26 20:00 | PJAM2012

パキスタン・バザール2012

 日曜日(3/25)は、家族でパキスタン・バザール2012に行ってきました。代々木公園のイベント広場(NHK放送センター側)が会場です。
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 3/24~25の2日間で、土曜日にはアントニオ猪木氏もゲストとしてきていたらしいですよ。
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 野外ステージでは、民族音楽の演奏やダンスなども行なわれてました。息子1は、なぜか熱心に聴いてました。息子2は、「怖くなっちゃった~」と半べそ、そのままお昼ね...(写真は、アフガン音楽の「ちゃるぱーさ」)
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 奥さんは、どこぞでヘナ・アートをやってもらってきてました。
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 なんと言っても賑わっていたのは、多数出店していたパキスタン料理店の屋台です。
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 我が家は、こちらで。レストラン「ナワブ」。お店は、湯島、八丁堀、日本橋にあるそうです。スパイスがよく効いていて、とても美味しかったです。
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 屋台の調理場。カレーがライスまたはナン付で¥500、ほかにチキン・ティッカやケバブなど。
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 で、バター・チキン・カレー(左上)、チャッパリ・ケバブ(右上:マトンのひき肉をスパイスと合わせて平丸形に焼いたもの)、ハリヤーリー・ティッカ(右上の串:ヨーグルトとほうれん草入りのペーストで下味を付けた焼き鳥)、プラオ(下:チキンとスパイスの炊き込みご飯)にしました。プラオは、クミンとカルダモンがたっぷり使われていて、とても美味しかった!
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 こちらは、まぁ、パキスタンとは直接関係ありませんが...トルコの「のび~るアイス」ことドンダルマですね。お兄ちゃんが、「のび~る」と叫びながら練ってるところ。これを見せられたら、子供たちは釘付けです。仕方ないので食後のデザート(でも、1つ¥400涙)
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 お昼過ぎには、けっこうな人手でしたよ。NHK放送センター前ではアースディ・マーケットもやってましたし。この後、タケカワ・ユキヒデ氏(ガンダーラつながりということでしょうね)もゲストで登場したらしいのですが、我が家は、息子×2が「はやく公園に行きたい」コールだったので、歩道橋を渡って代々木公園の広い側へ。
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 さっそく噴水に駆け寄る息子1。もう少し暖かかったら「入る」と主張されてたことでしょう;
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 天気もよく、日差しも暖かかったのですが、風はまだまだ冷たかったです。
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 芝生広場では、シャボン玉アートやってました。シャボン玉を追って、子供たちが右へ左へひしめきあってます。
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 当然、息子×2も参戦。
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 相当、走り回ってました。
[IMAGE|a0186568_20541732.jpg|201203/25/68/|mid|360|240#] 息子2は、やや柄が小さすぎて苦戦。でも、自分でシャボン玉やらせてもらえたので大満足。
 この後、代々木八幡駅まで歩いて帰りましたが、途中から息子1は歩けず...最後は電車の中で寝てしまいましたとs。
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by asiansophia | 2012-03-26 06:00 | おでかけ/ Japan

PJAM2012#10 歴史の街コート・ディジーその3

 前回に引き続き、もう一度、コート・ディジー城です。西側、つまり現在のハイウェイ側から見た全景。まさに、壁です。
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 コート・ディジーの町は、この背後(東側)にあります。平地部分には、かつて泥レンガの城壁が築かれていたそうです。
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 そしてコート・ディジーの町は、城下町らしい細く曲がりくねった路地のあちこちに古い建物が残り、歴史を感じさせてくれます。ハイウェイ沿いのにぎやかな町並みとは違った味があります。
 先に紹介したシーシュ・マハルなどとあわせて保存・整備を進めることで、観光や歴史教育のセンターになり得るのではないか、とマッラー教授は構想しています。
 しかしながら、ここもまた、さまざまな問題に直面しています。街道沿いの新しい町ほどではないにしろ、やはり古くなった建物は新しくしたいのが人情、町並みを保存するためには、それなりの計画と住民への配慮、支援が不可欠でしょう。
 そして何より、歴史的景観の中核となるコート・ディジー城の保全が最大の課題です。
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 これは低層部、城門のすぐ脇の城壁。基部に染みのように見えるのは、雨季に水が漬いてしまった範囲です。基本的にはほとんど雨の降らない地域ですが、雨季には集中的に雨が降ります。排水施設が整備されていない城内は、プールのようになってしまうのだそうです。
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 そしてもう一つ、地下水に含まれる塩分が毛細管現象で地表へ、そして城壁のレンガへと吸い上げられ、城壁にダメージを与えます。
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 保存状態がよいところは、こんな感じで精巧なレンガ積みを観察することができます。
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 ところがダメージを受けた箇所は、基部から崩壊してしまうのですね(マッラー教授撮影)。
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 城壁の上にも崩落している部分があります(マッラー教授撮影)。
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 とくに最上層部はダメージが大きく、ところどころで修復の努力がなされていますが、付け焼刃です。復元が不十分だったり、オリジナルとは異なる素材(コンクリートや石)などを使用している箇所もあります。考古学や建築史などの専門家の調査と監修にもとづく保存処置、復元修復が必要です(2007年撮影)。
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 こちらは、城門脇にある穀物倉庫。写真左側のドーム状の建物がそうなのですが...1基はドーム天井が落ちてしまっています。あと2基あるのですが、これも何らかの処置をしないと近いうちに崩落してしまう危険があります(2007年撮影)。なお、これらの穀物倉庫の現状は、Google Mapでもはっきりと見えます。
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 ふたたび、城壁の上から見たコート・ディジーの町。左側の池のさらに左(画面外)にシーシュ・マハルがあります。遠景には、小麦とパーム椰子の畑の緑、さらに彼方にローフリー丘陵。乾き切った砂漠と緑のコントラストが織りなす風景はなかなかのものです。サッカル空港から1時間ほど。絶好の観光スポットにもなると思うのですが。

 さて、この後は城を下りて、コート・ディジー遺跡を見学しました。詳細は次回。
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by asiansophia | 2012-03-25 19:45 | PJAM2012

PJAM2012#9 歴史の街コート・ディジーその2

 コート・ディジー編その2です。
 18~19世紀、シンドに覇を唱えたタルプール朝(Talpur)は、元をたどるとホラサーンからイラン全土を支配したアフシャール朝の一派なのだそうです。ということで、元来はトルクメン系ということになるのでしょうか。シンド北部に定着すると、早い時期にシンディー語を受容して現地化したようです。
 このタルプールに限らず、シンドには、古来、数多くの民族が来住し、定着してきた歴史があるそうです。言い換えるならば、多様な民族、文化が混淆して、シンドの文化と歴史がかたちづくられてきた、と言うことになるのでしょうか。
 さてシンド北部に定着したタルプールは、彼の地を支配していたカルホラ朝(Kalhora)に対抗し、何度かの戦いの後、1783年にはシンドの支配権を確立しました。こうして成立したタルプール朝の首都はハイデラバードに置かれましたが、その一族であるミール・ソーラブ・ハーン(Mir Sohrab Khan)はハイルプールに拠って、シンド北部を支配しました。
 そしてそのミール・ソーラブ・ハーンが1785~95年に築造したとされているのが、コート・ディジー城(別名アフマダバード城:Fort Ahmadabad)です。
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 城は、ローフリー丘陵の延長、細長く削り残された丘の上に築かれています。
 Google mapの衛星画像で見ると、城の立地する地形がよく分かります。同時に、城の南側に広がるコート・ディジーの町が、細長い丘の上に築かれた城によって守られていることも。
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 当然、城への入り口は南側、コート・ディジーの市街に面した側に設けられています。
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 城門の扉には、巨大な鉄の鋲がびっしりと埋め込まれています。マッラー教授いわく、ゾウを使った攻城戦への備えなのだとか(この写真は2007年撮影)。で、左下の小さな潜り戸を抜けて、城内へ入ります。
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 城門の内側には平坦な広場があり、城壁で囲まれた丘の上の城塞本体へと通じる通路へとつながっています(2007年撮影)。
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 現在では、階段が整備されているので登りやすくなってますよ。
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 階段を登りきると、いよいよ城塞本体、へ通じる第二の城門。レンガ積みの塔と城壁でしっかりと防御されています。
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 第二の城門。レンガ積みの巨大なアーチです。
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 最上層部へ、さらに登ります。
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 レンガ積みアーチの細いトンネル状通路を抜けると...
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 ようやく、最上層です。狭いやせ尾根状の丘の上に築かれているので、最上層部は決して広くありません。
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 城壁に挟まれ、狭い通路状になっているところもあります。
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 城壁からはコート・ディジーの町が一望できます。
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 最上層部のもっとも広いところ。ここに塔(日本式に言えば本丸?)があります。
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 これは、貯水槽。かつては屋根が架けられていたようですね。
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 これが本丸?
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 で、階段を登って本丸?の上へ。
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 狭い丘の上を細長く伸びる城壁、右手はコート・ディジーの町。
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 コート・ディジーの町、全景。城を築いたミール・ソーラブ・ハーンは、晩年、3人の息子にハイルプール藩王国を譲り自身は、ここコート・ディジーで余生を過ごしたそうです。その後も、コート・ディジーは首都ハイルプールと並んで重要な場所であり続けました。
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 そして今でも、タルプールの一族、ハイルプール藩王国の継承者はこの町に住んでいるそうです。この丘の上の邸宅が、世が世なら王様のお住まいだとか。
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 そして、われわれ考古学者がこの近世のお城に登るもう一つの目的がこれ...インダス文明の研究上欠かすことのできない重要な、コート・ディジー遺跡です。遺跡の全景写真は、必ず、コート・ディジー城の城壁から撮られているのですよ。
 ということで、1枚、パシャリ。遺跡のある、北~西側は、見渡す限りの平原で、小麦とパーム椰子、バナナなどの畑が広がっています。反対側、東~南側のローフリー丘陵とは全く正反対の景観です。
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by asiansophia | 2012-03-22 20:00 | PJAM2012

新刊紹介:シリーズ遺跡を学ぶ083『北の縄文鉱山・上岩川遺跡群』

 新泉社『遺跡を学ぶ』シリーズの新刊です。


 縄文時代の石器、というとまだまだマイナーな研究分野ですが、なかなかどうして、当時の経済や社会を考えるために貴重な情報を提供してくれるのですよ。
 本書では、道路建設に先立つ調査で発見された、珪質頁岩の原産地遺跡群―原石の採掘から石器製作まで行なわれた「コンビナート」と言える遺跡ですね―の調査成果を軸に、近隣の集落における石器のあり方から、持ち運ばれ、交換され、または分配された石器を通して、技術、経済、社会を描き出そうとしています。石器の種類、かたちや名称、分類、機能と言った遺物論ではなくて、石器や石材が縄文人、縄文時代社会にどのように取り扱われていたのか、をテーマに掘り下げられているということです。

 著者の吉川さんとは...大学以来の長いお付き合いです。発掘調査や整理作業など、ずいぶんあちこちご一緒しました。遠路、シリアの調査も...
 その後、吉川さんが秋田に奉職されてからは、なかなかご一緒する機会がないのですが...でも、4年ほど前に『考古学ジャーナル』誌の「時空間の連鎖:打製石器の製作・使用」特集に、本書と関わる内容についてご寄稿いただきました(吉川耕太郎2008「東北日本における石材資源の獲得と消費」『考古学ジャーナル』No.575:23-27、ニューサイエンス社)。日本考古学では、それこそ学生として基礎を学ぶ段階から、旧石器時代、縄文時代といった時代ごとに輪切りにしてしまう傾向がとても強いのですが、秋田というフィールドで、珪質頁岩という石材を軸に、3万年におよぶ長い期間を通時代的に俯瞰することができるのが、吉川さんの強みです。
 石器石材の取り扱い方から、技術、そしてその経済的、社会的背景を通して、あらためて「時代性」を明らかにすることができるのです。

 さらに「地域」の垣根も飛び越えて、パキスタン・ローフリー丘陵のチャート原産地遺跡群と比較し、時代・地域を越えた石材開発の共通性―と、もちろん相違点―を検討し、石器をめぐる人類史を語りたいなぁ、などと空想はするのですけどなかなか実現はしませんね。
 次は、ぜひパキスタンに来てください(笑)

 あと、1点だけですが、リクエストをいただいて写真を提供しました。86ページの図62です。中央に写っているのは、L大学のA.S.さん。実は、拙著(
『武蔵野に残る旧石器人の足跡・砂川遺跡』
)にも登場してます。シリーズを通じて2冊に登場している方は希少なのではないでしょうか。しかも、遥か海を越えて(笑)

 カラー写真も満載で、お買い得です。ぜひ、お買い求めください。
吉川耕太郎著 『北の縄文鉱山・上岩川遺跡群』

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by asiansophia | 2012-03-22 19:00 | 考古学(いろいろ)

PJAM2012#8 歴史の街コート・ディジーその1

 第2日目、お昼ご飯の後、マッラー教授とともにコート・ディジー(Kot Diji)へ向かいました。
 コート・ディジーはローフリー丘陵の南西縁にある町ですが、インダス考古学を学ぶものにとっては町の西にある遺跡の方が有名ですね。
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 SALUからは車で南へ30分ほど。昨日のローフリー・バイパス、サッカルはメイン・ハイウェイ沿いで車も人も多く行きかうにぎやかな地域でしたが、こちらはのどかな田園地帯です。ちょうど冬小麦が育ち、マスタードの黄色い花が咲いていました。
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 最初に訪れたのは、街道沿いの新しい町コート・バングロー(Kot Banglo)からコート・ディジーの旧市街へ向かう道をしばらく走ったところ、小麦畑の真ん中に残されたシーシュ・マハル(Sheesh Mahal)です。
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 ここは英領時代も独立を保っていたハイルプール藩王国(タルプール朝の支流)の宮殿として19世紀後半に建てられたそうです。ムガル皇帝によりラホール城内に建てられた同名の宮殿は「鏡の宮殿」として有名ですね。ここも、モザイク・タイルとミラーワークで飾られあちこちにラホールを模倣しているような意匠が見受けられます。
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 前廊部分のモザイク。残念ながら維持管理が不十分なため、痛んでいる箇所が少なからずあります。また、心ない訪問者の落書きも目立ちます...
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 前廊部分のアーチと木の扉。
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 扉の上の精巧な透かし彫り。
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 大広間の四周は、モザイク・タイル、ミラーワークで飾られた柱、上部にステンドグラスをあしらわれた木の扉です。
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 柱には漆喰の上にミラー・タイルが嵌め込まれているのですが...残念なことにかなり剥落しています。
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 扉の上部~天井もびっしりとモザイクで飾られています。
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 天井のモザイク。同じパターンの繰り返しではなく、きわめて多様なパターンが見られます。
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 側廊の天井のモザイク。
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 周囲には、崩れかけた土塀がめぐっています。ここは、かつての門の跡。
 この宮殿跡は、現在でもハイルプール藩王国の末裔の私有財産なのだそうです。今までは、一般にも開放されていましたが、最近、閉鎖すると言われているそうです。しかしこれだけの建物なのですから、しっかりと修復、保存の処置をした上で、公開されるべきでしょう。
 後で紹介する、コート・ディジー城などとともに、タールプール朝の首都だったこともある歴史の街コート・ディジーを象徴するモニュメントのひとつです。マッラー教授は、何とか所有者を説得して、保存・修復に取り組みたいと考えているようです。
 なお建物は、Google mapで確認することもできます(こちら)。
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by asiansophia | 2012-03-21 20:00 | PJAM2012

横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡公園

 3/20春分の日は、横浜市歴史博物館へ行ってきました。奥さんが、「火の神・生命の神-古代のカマド信仰をさぐる-」を見たかったからです。
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 展示は、これでもかと考古資料が並ぶ、プロ向けのハードなものでした...ので息子1は早々につまらなくなってしまい、常設展示へ。
 最近は、博物館の映像資料にはまっていて、放っておくと1時間でも2時間でも観ています。さすがに、それはしんどいので、途中で興味を展示のほうに誘導して...江戸時代の宿場やお祭りのインタラクティブ展示にしばしはまった後、ようやくお昼にしてくれました。
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 こちらはお約束の顔出しパネル。顔を出さずには気がすまないのです(笑)
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 お昼ご飯は公園で食べましょう、ということで博物館の屋上から大塚・歳勝土遺跡公園へ。15年前は遺跡公園全体が見渡せたのに、いつのまにか高層マンションに囲まれてます。
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 遺跡公園は、造成工事を逃れて残された丘の上、竹林の中の遊歩道を登って行きます。
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 大塚遺跡は、弥生時代中期の環濠集落です。方形周溝墓群が見つかった歳勝土遺跡とともに、一部が保存され、遺跡公園として公開されています。
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 大塚遺跡の弥生時代のムラは、環濠と呼ばれる空堀と、その外側の土手、柵列で守られていました。柵列に設けられた木戸の向こうに、復元された竪穴住居が見えます。
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 復元された竪穴住居。蚊帳浮きの屋根が丸く掘られた竪穴の上にすっぽり被さる形式です。
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 中は、周囲から一段掘り下げられ、突き固められた土間になっています。
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 簡単な木製の階段が架けてあり、中に下りれるようになっています。
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 もっとも、発掘したときには茅葺の屋根は残っていません。このように、丸い竪穴とその中に柱穴の跡だけが残っているのです。
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 その柱穴-ここでは4本が四角く配置されています-に柱を立て、井桁状に梁を渡し、竹の骨組みの上に萱を葺いて屋根とします。
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 竪穴の周囲には、彫り上げた土を積んで水などが流れ込まないようにしてあります。
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 竪穴住居の入り口部分の造り。
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 こちらは、高床式の倉庫です。
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 遺跡公園のすぐ向こうは、ショッピングモールの駐車場です。1972年に港北ニュータウンの開発に先立って発掘された遺跡は、1986年に重要性が認められて国の史跡となり保存されることになりましたが、残されたのは約1/3だけ...で、
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 残りは、切り崩されてなくなってしまいました。写真右の木立が遺跡公園、中央の道路~左のショッピングモールにかけて、本来は遺跡の範囲でしたが、いまでは宙に消えています(涙)
 全体が残されていれば、北部九州や畿内だけじゃなく、関東地方にも濠に守られた大きなムラがあったことがよく分かったのだと思うのですが...しかし最近の周辺の開発のすさまじさを見ると、一部とは言え残されたのだからよかったのかなぁ、とも...

 なお、なぜか息子1は復元住居が大好きで、大して違いがないのにもかかわらず、全件(ここでは7件)をチェックして中に入らないと気が済まないのでした。
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by asiansophia | 2012-03-21 06:00 | おでかけ/ Japan

PJAM2012#7 第2日目

 ラカンジョ・ダーロ遺跡を後にしたのは、もう夕方。そのまま一路SALUへ、戻ったのは日が落ちる頃でした。
 
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 夕飯は、またチキン・カラヒとサブジ、プラオです。同じメニューだけど、おいしいので可。

 そして翌日、2/21は午前9時過ぎに博物館へ。今日からは、構内の移動も護衛付です。
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 じつは昨日から、キャンパス内にはほとんど学生の姿がありませんでした。何でも、シンド州内の他の大学で教授が殺される事件があり、その捜査が進展しないことに抗議して州内のすべての大学で教員がストライキ中とのことでした。ということで、キャンパス内には新校舎の建設に従事している作業員くらいしか人影がありません。
 そして授業がないので、マッラーさんはじめ教授陣もゆったりしてます。
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 話しは変わりますが、パキスタンの人たちは、本当に花が大好きです。ここSALUのキャンパス内も、色とりどりの花で飾られています。
 で、博物館に到着したら、まずはチャイ。マッラー教授としばし雑談の後、あらためて博物館内を見せてもらいます。
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 ここは土器修復室。ラカンジョ・ダーロ遺跡から出土したハラッパー式土器の数々が復元を待っています。
 本場のハラッパー式土器をじっくり観察するKさん。お隣は、博物館スタッフ(フィールド・オフィサー)のアミーン・チャンディオさん。
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 そうこうしているうちにヴィーサル教授と、Ph.D候補生で講師のマダム・タスリームが登場。ヴィーサル教授には、5年前、タール砂漠からローフリー丘陵までご案内していただいて以来です。そして5年間の間に、学位を取得、とんとん拍子に出世して、いまや博物館長!
 ご挨拶の後、今回の訪問の目的のひとつである、旧石器時代資料の見学と遺跡の踏査について相談...と、どうもヴィーサル教授にはなにやらプランがある様子。まぁ、こちらの要望を押しつけても仕方がないので、とりあえずはじめは話しにのりつつ様子をうかがいましょうか...というところだったのですが、結果的にヴィーサル教授のプランが大当たりだったのです。何が?というその詳細は追々。
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 で、あっと言う間にお昼ご飯。チキン・カラヒは相変わらず、でもサブジのかわりにダール(豆カレー)、プラオも野菜入りになりましたね。
 到着から2日、仕事する気満々の日本人2人に対して、パキスタン側は非常にゆったりムード。さて、どこまで話が進むやら、と少々気を揉んでみたりするものの、でもまぁなるようにしかならないよなぁ、と腹を決めるしかありません。
 で、結局この日は、昼食の後、大学から車で30分ほどのコート・ディジー城とコート・ディジー遺跡を訪問しました。続く。
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by asiansophia | 2012-03-20 20:00 | PJAM2012