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カテゴリ:考古学(ジオ)( 8 )

中世~近世の開発@武蔵野台地南部/ landscape & land utilization of Medieval Musashino upland

 前記事の続きです。
a0186568_23482.jpg
 これは明治13年に陸軍参謀本部によって作成されたいわゆる「迅速図」をつなぎあわせたもの。だいたい、現在の世田谷区、杉並区、武蔵野市、三鷹市、調布市、府中市、小金井市、小平市、西東京市、稲城市、多摩市、国分寺市、国立市のあたりになります。青線(および塗り潰し)は、自然流路と考えられる水部です。
 その上に、東京都遺跡地図上で、中世の遺跡として登録されている範囲を白線で重ねてあります。一見して、遺跡の分布にかたよりがあることが見て取れるでしょう。地図下側の多摩川に沿った範囲は遺跡が並んでいます。
 その中心は、左下の府中。古代の武蔵国府以来、中世においても政治の中心地でした。そして多摩川低地の開発とセットで府中崖線沿いに遺跡が広がっています。一方で、それより北側、立川面や武蔵野面の台地内部には遺跡がほとんどありません。実はこうした遺跡分布は、弥生時代以降、継続的に認められる現象です。これについては、2010年に日本考古学協会でポスター発表しました。後ほど、このブログでもあらためて紹介させていただきます。
 地図中の白丸は江戸時代後期(19世紀前半)に編纂された新編武蔵風土記稿に見える村の位置(ただし明治13年迅速測図における村落の中心的位置として示してあります)、四角は宿駅、三角は新田です(新田については、まだ遺漏があります。スミマセン)。
 これらを重ね合わせてみると、当然のことながら三角の新田の分布域には中世の遺跡はまず存在していないですね。白丸の中にも中世の遺跡と重ならない、隣接しないものがありますが、ひとつには江戸時代前・中期以降の新開村や分村が含まれているためです。また中世に遡る寺社や伝世品の板碑が分布する場合もあります。しかしながら、近世以降との差は歴然としています。

a0186568_2363746.jpg
 続いて、同じ地図に近世の遺跡範囲を重ねます。ぐっと遺跡数が増えてきましたね。まだ村落の位置と釣り合いませんが、近世の遺物だけが出土・採集されている場合に、それだけでは遺跡登録されない場合もありますので...
 また水路がぐんと増えていますが、このうち図の大部分の範囲については、1653~54年に開削された玉川上水からの分水です。個々に成立年代を特定できる水路以外も含めて、玉川上水系の用水は、まず玉川上水が完成しなければ水源がないので、中世まで遡ることはないと言えます。遺跡としては捉えられていませんが、三角の新田は明らかにこれらの水路沿いに開かれています。
 とは言え、もともとは江戸市中の飲料水確保のために開削された玉川上水なので、分水の開削や農業利用についてはいろいろと厳しかったようです。当然のことながら、水田で稲作ができるほどの水量はもたらされていません。江戸時代前期の『武藏田園簿』に見える田と畑の比率、あるいは『新編武蔵風土記稿』の記述からも一目瞭然です。
 一方、多摩川のすぐ北側の水路網については、中世、中には古代まで遡り得るものがあるはずですし、実際に発掘調査により検出されている水路跡もあります。江戸時代前期の『武藏田園簿』でも、多摩川低地の村落は田の比率が高いだけでなく、石高も大きい=生産力が大きいことが分かります。たとえば府中用水の本格的な整備は江戸時代前期(1693年)です。下流の二ヶ領用水などを含めて、やはり江戸時代前期以降に開発がより活発化しと言えますが、それ以前にも相応に開発が進んでいたと考えられるでしょう。
 府中宿の繁栄、その結果残された多量の遺物は、もちろん街道沿いの宿駅ということが背景にありますが、いまひとつには生産力の高い多摩川低地に近接している=農業生産の面でも豊かだった、ということもあるでしょう。それに対して、台地内部では開発もそれほど進まず、結果として台地に刻まれる人間活動の痕跡=遺構・遺跡が希薄なままであったということになるでしょう。
 日常生活用品としての陶磁器の利用方法が、遺物の少なさに反映しているだろうということは、前記事で確認したとおりです。
 このように、地形と水文・水利環境が中世~近世の土地利用・景観に大きく影響し、その結果として考古遺跡の分布や遺物の多寡にも反映していると言えるのです(つづく)
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by asiansophia | 2011-09-09 23:38 | 考古学(ジオ)

川崎市麻生区の工事現場露頭/ Pleistocene stratum outcrop

 本日は、川崎方面へお出かけでした。その途上で見つけたマンション工事現場の露頭。津久井道を新百合ヶ丘~柿生に向かう途中の北側です。
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 白っぽく見えているのはTP(箱根-東京軽石:約6.6万年前)でしょうか? 斜面上部から下位に向かってずいぶん傾斜しているように見えます。
a0186568_2145986.jpg
 そして最下段ではずいぶん厚い様子。谷を埋めているのでしょうか?
 時間があったら、また確認してみましょう。

Outcrop of Late Pleistocene stratum cut by apartment construction, in Tama Hill, Asao Ward, Kawasaki City, west of Tokyo.
Whitish part may be Hk-TP (66ka) from Hakone Volcano.
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by asiansophia | 2011-08-21 22:24 | 考古学(ジオ)

武蔵野台地横断行2

 ローカルな話題の続き。

1)武蔵野台地とは
 関東平野南西部、現在の東京都~埼玉県南西部にまたがる台地です。西から時計回りに、関東山地~加治丘陵~入間川低地~荒川低地~東京低地・東京湾~多摩川低地・河谷などに囲まれています。下図は、国土地理院の50mDEMデータによりカシミール3Dで作成した陰影図。中央の平行四辺形状の範囲が武蔵野台地です。 
a0186568_9552430.jpg

 ちなみに前記事のルートほかを重ねるとこんな感じ
a0186568_1014332.jpg



2)武蔵野台地の地形と発達史
 武蔵野台地の現在の地形の大部分は、およそ13万年前以降、現在の青梅市付近を扇頂として多摩川が形づくった扇状地とその延長上の氾濫原~デルタを基盤としています。下図は50mDEMにもとづいてカシミール3Dで作成した10m等高線(緑)に、同じく国土地理院による数値地図25000(土地条件)*から、#凹地・浅い谷、#低地の一般面、#頻水地形、#水部(ブルーグレー)を重ね合わせたものです。
 等高線と谷の形状から、扇状地帯(西・北~中央)と、曲流平野・氾濫原地帯(東~南東)が分かると思います。
a0186568_1021779.jpg
*この範囲の土地条件図は昨年(2010年)更新され、デジタルデータ版もつい先ごろ(2011/8/1)リリースされましたがまだ導入していないので、ここでは旧版にもとづいています...
 今回のルート付近で著しく蛇行する谷は、ほぼすべて、現在では水流が見られません。谷はきわめて浅く、谷底は周囲から1m程度くぼんでいる程度で、標高データからは読み取りがたいものばかりです。中には下流部側が閉じている=凹地(ダイダラボッチの足跡)になっているものが多数あります。集中降雨の後に不時の出水=野水が見られます。故・羽鳥謙三先生が注目されていた地形です。どうやら、下末吉海進期と続く高海面期の延長河川の下流部の痕跡のようです。

3)考古遺跡の分布から見た土地利用史
 上掲の地図に東京都遺跡地図による周知の遺跡範囲(赤)と、横断行ルートそのほかを重ねます。埼玉県側はまだ作図してないので空白です...ゴメンなさい
a0186568_1020126.jpg
 今回は、標高40~50m前後の扇端部よりを横断したことが分かるでしょうか?
 平常時には水に事欠く台地中央の凹地地帯は、見てのとおり遺跡の空白地帯でもあります。唯一と言ってよい小平市鈴木遺跡は、後期旧石器時代には大遺跡ですが、縄文時代になると急激に生活痕跡が希薄になり、以後、江戸時代後期まで、やや大げさですが「無住の地」となります。
 鈴木遺跡のちょっと北を青梅街道が東西に走っていますが、ここについて江戸時代前期に編まれた「武藏田園簿」では、やや東の田無宿から西へ六里(約24km)あまりの間、草原のみで人家なし、と書かれています。そうした景観はおそらく、縄文時代以降ずっと続いていたもので、1722年の玉川上水の開削とそれに続く諸分水の成立以後、ようやく新田開発がはじまったのです。
 これに対して遺跡が集中しているのは、より北側の黒目川、柳瀬川の流域ですね。このあたりでは、後期旧石器時代にはじまって、縄文~弥生~古墳~古代~中世と、ほぼ途切れなく各時代の生活の痕跡、集落が分布しています。多くの湧水源に支えられた豊富な水量が、その第一の条件でしょう。
 最初の陰影図を見ると、柳瀬川、黒目川の谷は、台地中~東部のほかの小河川(石神井川、神田川など)に比べて幅広く直線的でくっきりと刻まれていることが特徴的です。谷の両岸は明瞭な段丘崖が発達し、武蔵野台地内のほかの河川流域とは異なる景観が広がります。どちらかと言うと、相模野台地中~南部にも似た感じです。また谷内には小段丘が発達しています。谷の形成時期は、どうやら後期更新世後半、MIS3の時期のようです。寒冷化が進み海水準が低下、北側の荒川河谷が掘り下がった時期にそこへ流れ込んでいた多摩川が、より深く直線的な谷を掘りこんだのでしょう。そのため、段丘崖や谷底から、かつての扇状地を伏流していた水が湧いているのです。

4)武蔵野台地の横断形
 え?! 多摩川が荒川に流れ込んでいたって? と聞くと多くの人はびっくりするでしょう。現在の多摩川は、武蔵野台地の南に沿って流れて東京湾に直接注いでいますから。でも、武蔵野台地上の分水嶺は多摩川に沿って南側にあり、台地上の水流の2/3以上は荒川水系なのです。
 ふたたびカシミール3Dで50mDEMにもとづく横断面図を作成してみましょう。
a0186568_10441640.jpg
 国分寺崖線より北側の武蔵野面の最高点は、仙川と玉川上水の中間にあることが分かります。そしてそこから北側へかなり傾斜していることも(この横断面図では高さを著しく強調してありますのでご注意)。
 武蔵野台地の原型となっている扇状地・氾濫原の、さらに基盤となっている地層が北へ向かって傾斜しています。関東平野全体が、現在でも埼玉県北東部付近を中心として沈み続けている影響なのでしょう。かつては、相模川も関東山地を抜けた後、北東流していたそうですから。
 じゃあ、なんで現在の多摩川は台地の南側を流れるようになったのでしょうか? 重要な課題ですよね。切り立った国分寺崖線を見ていると、緩やかな変化ではなく、急激な変動が原因なのでは? と想像してしまいます。たとえば、立川断層の活動とか(上杉 陽先生が指摘しています)。
 もう一つ余談ですが、横断面図を見てよく分かるのが先人の知恵。この地点に限らず、玉川上水は台地内の分水嶺付近を通っているのです。このため、南の多摩川水系側へも、北の荒川水系側へも分水を「落とす」ことができるようになっているのですね。航空写真測量などない時代に、よくこの大事業を成し遂げたものだと、あらためて感心してしまいます。
 とまぁ、今日はこんなところで。
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by asiansophia | 2011-08-19 10:58 | 考古学(ジオ)

武蔵野台地横断行:short excursion across Musashino upland

 ローカルかつマイナーな話題で恐縮ですが、新小金井街道という道があります。正式名称は、東京都道248号府中小平線と言うそうです。北側の終点の先は、東京都道15号府中清瀬線(小金井街道)の枝線ということになっているのですが、実際には一続きの道路です。府中~小金井~小平~東久留米と、武蔵野台地のほぼ真ん中辺を横断しています。そして、はけうえ遺跡、鈴木遺跡、下里本邑遺跡など、有名な旧石器時代遺跡を結ぶ道でもあります。そして、武蔵野台地の地形の特徴を捉えることができるルートでもあります。
 さてこの道、実家へ帰るときをはじめ埼玉方面へ向かうときにはよく利用するのですが、通るたびに、いろいろ木になっている場所がありました。ということで昨日、ひとりでドライブあんど踏査に行ってきました。

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 まずは野川。橋のたもとには、つけめんの大勝軒が...

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 貫井大橋を渡った先は国分寺崖線ですが、急斜面にはトンネルが掘られています。ここがはけうえ遺跡。

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 武蔵野面に上がって、東京学芸大の北には仙川。通称、ラーメン街道の只中です。

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 ただしこんな小さな排水路があるだけですし、新小金井街道より西側では暗渠になっています。それもそのはず、このあたりの仙川は、本来の自然の水路ではないのです。これについては、またそのうち。

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 さらに北には玉川上水。こちらは江戸時代中ごろに開削された、江戸市中に飲料水を引くための用水路です。

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 玉川上水を過ぎてさらに北に行くと、小平市立鈴木小学校があります。小学校と、隣接する新小金井街道の道路部分が、鈴木遺跡の中心範囲です。すぐそばには、資料館もあります。が、昨日はお休み。

a0186568_138340.jpg 鈴木遺跡は、石神井川の源流部を取り囲むように広がっています。そして、ここより北は、黒目川とその支流まで、目立った河川はありません。でも、浅い谷や凹地がいくつも見られます。西武新宿線の線路より北側は小平市大沼町ですが、この「大沼」という地名も、かつて凹地に広がっていた湿地・沼を意味しています。写真は、大沼田稲荷神社。

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 うっかりしていると気づかないくらいの浅い谷をいくつも越えていくと、黒目川に出ます。
 川を渡った先、団地の北側の斜面が下里本邑遺跡。

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 遺跡の主要部は緑地として保存されていて、団地の一角には展示館もあります。

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 こちらは展示館。低地部の旧河床の生活面(縄文早期)や土層断面の剥ぎ取り、土器などが展示されています。

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 下里本邑遺跡をこえて、黒目川北岸の段丘斜面を登ると、道はちょっとの間、野火止用水沿いを走ります。

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 小金井街道と交差する松山3丁目交差点を過ぎ、最近開通した西武池袋線の立体交差を抜けると、志木街道(埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線)に合流します。西武池袋線の北側は、再び浅い谷・凹地地帯。道端には冠水注意の看板...野水が出るのですね。

 この後は、黒目川沿いに進路を変えて、朝霞市博物館を見学後、黒目川・新河岸川・荒川が合流するあたりまで足を伸ばしてきました。それにしても、暑かった。
 で、いったい、このドライブの目的は何なのか、何が分かってどう楽しいのか...についてはまた今度。いや、普通の人にはちっとも楽しくないから、もういいか...

ルートマップ(Google map、別窓)・route map on Google map (new window)

On 16,August, I have done my field work on geomorphology of Musashino upland. Driving along the road across the upland, and observing landform of river terrace, scarp cliff line, shallow valley of remnant river... Musashino upland was formed by palaeo Tama river during MIS5. My excursion course is just across former alluvial fan and later riverine terraces. This excursion is for understanding regional scale geomorphology and site distribution. Details will be following.
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by asiansophia | 2011-08-17 13:56 | 考古学(ジオ)

緊急提案<災害履歴解明へ、力になりたい> 「災害履歴解明のための研究助成」の募集

(以下、(株)パレオ・ラボ、ホーム・ページから転載します)

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、甚大な被害をもたらしました。お亡くなりになられた方々に深い哀悼の意を表します。また、被災され避難を余儀なくされている多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。
この度の東日本大震災は、我々の予想をはるかに超えた自然災害であり、福島第一原子力発電所事故のようにかつて経験したことのない危機的な状況を招いた未曾有の大災害でもあります。
地震とそれに伴う津波が人間生活を破壊する様は、自然災害の恐ろしさを多くの人の胸に刻み込みました。この未曾有の大震災の体験により、災害発生時期や被害範囲予測に関する研究のさらなる発展が要求され、過去に発生した災害の履歴を解明することの重要性が高まるであろうと思われます。
弊社は創業以来、地質調査や遺跡発掘調査に携わり、関連する年代測定、火山灰分析、古環境復元のための微化石分析などを多数行ってまいりました。この重大な大震災に直面し、弊社が持つ技術を最大限に生かして関連調査機関が行っている地質学的な災害履歴の解明に協力し、防災に貢献したいと考えます。
近いうちに起きると予測される東海・東南海・南海地震や富士山噴火など、危険度の高い災害に関連する緊急性のある調査・研究に全面的に協力することが弊社の急務であると考え、以下の緊急支援事業を提案いたします。

<災害履歴解明のための研究試料について放射性炭素年代測定を無償でお引き受けいたします。>

●内容:放射性炭素年代測定(AMS法)
●対象:地震、津波、火山噴火、洪水など災害履歴の研究者(官民所属を問わず)
●測定試料数:一人5点あるいは10点(1口5点×20口で合計100点)
●実施期間:2011年6月~9月
●採否決定方法:お申込みいただいた順に採用 ※ただし「災害履歴解明のための研究助成」の理念に限定させていただきます。
●お申込受付期間:2011年5月28日~定数に達し次第受付終了
●お申込窓口:(こちらからご確認ください)
●お申込方法:氏名、所属、連絡先明記の上、研究の目的と方法を400字程度にまとめたものを文書ファイル(Wordなど)としてメールに添付して下さい。
●その他:成果公表時には弊社の「災害履歴解明のための研究助成」の支援を受けた旨を明記してください。
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by asiansophia | 2011-05-21 01:17 | 考古学(ジオ)

世界がいちばん寒かった頃、気候変化と人類

a0186568_23184575.jpg つぐみです。1月後半から職場に出没しています。寒さが緩む頃、遠くシベリアへ帰って行きます。旧石器時代にシベリアから日本列島へ渡ってきた人びとがいたならば、故郷で見たのと同じ鳥に気づいたに違いありません...
 が、しかしよく考えると、現在のシベリアを営巣地とする渡り鳥は、もっと気候が寒かった時期にはどうしていたのでしょうか? やはり、もう少し南へと営巣地を移していたのでしょうか? 以前、取り上げた古気候研究(本当に簡単に触れただけですが)に関連してPast and Future Rapid Environmental Changes: The Spatial and Evolutionary Responses of Terrestrial Biota(『過去と未来における急激な環境変化-陸棲生物の空間的・進化的応答-』)という本をパラパラとめくっていると、渡り鳥についての論考も当然ながら含まれていました。環境が変われば、生態にも影響があるのは当たり前ですね。
 では、人類の場合はどうでしょうか?

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by asiansophia | 2011-02-22 00:05 | 考古学(ジオ)

[新刊案内]大間々扇状地の地域と景観 自然・考古・歴史・地理

a0186568_0552650.jpg 新刊案内といっても、2010年9月の刊行なのですが、先日、ようやく六一書房にて入手しました。166ページで¥2,100ですからお手ごろ価格(失礼!)、だいたい、最近の『石器文化研究』とおなじくらいですね。
 さてその内容ですが、まさしくタイトルを読んで字の如く。群馬県南東部、旧大間々町(現みどり市)を扇頂として赤城山の南東麓に広がる大間々扇状地の地域研究誌です。副題にあるとおり、地理・地形から考古、歴史まで、時代で言えば扇状地が形成された10万年前から近世・近代に至るまでが扱われています。
 とは言え、各分野、あるいは各時代ごとの研究成果が総合されるまでには至っていません。それぞれのテーマからの取り組みが並列されている、といったところです。と言うと辛口な感じですが、そんなことはありません。それで十分です!! 各分野、時代ごとの研究成果を横並びにして、相互に参照可能な状態にまとめることが、地域景観史の第一歩ですから...少々偉そうですみません。

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by asiansophia | 2011-02-07 01:51 | 考古学(ジオ)

古気候学研究に関する講演会

 日付が変わったので、もう昨日ですが、国立科学博物館(新宿分館)で開催された講演会を聞きに行ってきました。
 講師は、東大大気海洋研(AORI)の阿部彩子さんと、フランス気候環境科学研究所(LSCE)/IPSLのマサ・カゲヤマさんです。なおマサさんの講演は英語、通訳は東大の近藤康久さんが務めていました。ご苦労様でした。
 仕事を終えてからの参加だったので開始時間を少し過ぎてしまいましたが、マサさんの講演の主要部分は聴講することができたと思います。その内容については、ご研究に関する一連の論文を参照していただくのが一番かと思います。とくに、気候モデルと環境条件などにもとづくシミュレーション/実際の考古データ(遺跡分布)の対比にもとづく、ヨーロッパにおけるネアンデルタールの絶滅に関する仮説は、これからさらに議論が深められるべき内容ではないでしょうか。
 何よりも私自身にとっての収穫は、ここ1年ほど、非常に興味をもって論文などを収集していた分野の研究者の、生の考え方、表現方法に触れられたことです。全地球規模で、100km四方を最小単位とするスケールで議論する気候モデル研究者と、遺跡・地域を基準とする考古学者・気候学者(花粉分析など)の認識のずれなどは興味深いお話しでした。また講演終了後、わずかな時間ですが、マサさん、阿部さんにお話をうかがうことができました。Science誌上をにぎわしている、中国・葫戸洞穴(Hulu Cave)や東格洞穴(Dongge cave)などの気候(モンスーン)変動データの評価について、などなど。
 マサさんの講演で取り上げられた北大西洋のH4イベントは、年代的に、日本列島における後期旧石器時代の開始期またはその直前と関連する可能性が高いものです。年代的に同調するとされる東アジアの気候変化データがどのように評価されるのか、今後、考古学、旧石器時代研究の分野にも大きく関わってくる課題なのでしょう。
 と、何だか難しく抽象的な感じですが、これは当の本人も咀嚼し切れていないからです...おいおい、もう少し勉強を深めて解説できるようになりたい。また、このネタは南アジアにもリンクします。
 そこまでの道がまだまだ長いのですが...

 さて、また帰宅が遅くなりました。息子1には、「○○くん(自分の名前)がお風呂に入るとパパが帰ってくるんだよ」と言われました。確かに、息子×2の入浴中に帰り着く確率が高い。何の法則でしょうか。
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by asiansophia | 2011-01-20 01:05 | 考古学(ジオ)