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武蔵野台地横断行2

 ローカルな話題の続き。

1)武蔵野台地とは
 関東平野南西部、現在の東京都~埼玉県南西部にまたがる台地です。西から時計回りに、関東山地~加治丘陵~入間川低地~荒川低地~東京低地・東京湾~多摩川低地・河谷などに囲まれています。下図は、国土地理院の50mDEMデータによりカシミール3Dで作成した陰影図。中央の平行四辺形状の範囲が武蔵野台地です。 
a0186568_9552430.jpg

 ちなみに前記事のルートほかを重ねるとこんな感じ
a0186568_1014332.jpg



2)武蔵野台地の地形と発達史
 武蔵野台地の現在の地形の大部分は、およそ13万年前以降、現在の青梅市付近を扇頂として多摩川が形づくった扇状地とその延長上の氾濫原~デルタを基盤としています。下図は50mDEMにもとづいてカシミール3Dで作成した10m等高線(緑)に、同じく国土地理院による数値地図25000(土地条件)*から、#凹地・浅い谷、#低地の一般面、#頻水地形、#水部(ブルーグレー)を重ね合わせたものです。
 等高線と谷の形状から、扇状地帯(西・北~中央)と、曲流平野・氾濫原地帯(東~南東)が分かると思います。
a0186568_1021779.jpg
*この範囲の土地条件図は昨年(2010年)更新され、デジタルデータ版もつい先ごろ(2011/8/1)リリースされましたがまだ導入していないので、ここでは旧版にもとづいています...
 今回のルート付近で著しく蛇行する谷は、ほぼすべて、現在では水流が見られません。谷はきわめて浅く、谷底は周囲から1m程度くぼんでいる程度で、標高データからは読み取りがたいものばかりです。中には下流部側が閉じている=凹地(ダイダラボッチの足跡)になっているものが多数あります。集中降雨の後に不時の出水=野水が見られます。故・羽鳥謙三先生が注目されていた地形です。どうやら、下末吉海進期と続く高海面期の延長河川の下流部の痕跡のようです。

3)考古遺跡の分布から見た土地利用史
 上掲の地図に東京都遺跡地図による周知の遺跡範囲(赤)と、横断行ルートそのほかを重ねます。埼玉県側はまだ作図してないので空白です...ゴメンなさい
a0186568_1020126.jpg
 今回は、標高40~50m前後の扇端部よりを横断したことが分かるでしょうか?
 平常時には水に事欠く台地中央の凹地地帯は、見てのとおり遺跡の空白地帯でもあります。唯一と言ってよい小平市鈴木遺跡は、後期旧石器時代には大遺跡ですが、縄文時代になると急激に生活痕跡が希薄になり、以後、江戸時代後期まで、やや大げさですが「無住の地」となります。
 鈴木遺跡のちょっと北を青梅街道が東西に走っていますが、ここについて江戸時代前期に編まれた「武藏田園簿」では、やや東の田無宿から西へ六里(約24km)あまりの間、草原のみで人家なし、と書かれています。そうした景観はおそらく、縄文時代以降ずっと続いていたもので、1722年の玉川上水の開削とそれに続く諸分水の成立以後、ようやく新田開発がはじまったのです。
 これに対して遺跡が集中しているのは、より北側の黒目川、柳瀬川の流域ですね。このあたりでは、後期旧石器時代にはじまって、縄文~弥生~古墳~古代~中世と、ほぼ途切れなく各時代の生活の痕跡、集落が分布しています。多くの湧水源に支えられた豊富な水量が、その第一の条件でしょう。
 最初の陰影図を見ると、柳瀬川、黒目川の谷は、台地中~東部のほかの小河川(石神井川、神田川など)に比べて幅広く直線的でくっきりと刻まれていることが特徴的です。谷の両岸は明瞭な段丘崖が発達し、武蔵野台地内のほかの河川流域とは異なる景観が広がります。どちらかと言うと、相模野台地中~南部にも似た感じです。また谷内には小段丘が発達しています。谷の形成時期は、どうやら後期更新世後半、MIS3の時期のようです。寒冷化が進み海水準が低下、北側の荒川河谷が掘り下がった時期にそこへ流れ込んでいた多摩川が、より深く直線的な谷を掘りこんだのでしょう。そのため、段丘崖や谷底から、かつての扇状地を伏流していた水が湧いているのです。

4)武蔵野台地の横断形
 え?! 多摩川が荒川に流れ込んでいたって? と聞くと多くの人はびっくりするでしょう。現在の多摩川は、武蔵野台地の南に沿って流れて東京湾に直接注いでいますから。でも、武蔵野台地上の分水嶺は多摩川に沿って南側にあり、台地上の水流の2/3以上は荒川水系なのです。
 ふたたびカシミール3Dで50mDEMにもとづく横断面図を作成してみましょう。
a0186568_10441640.jpg
 国分寺崖線より北側の武蔵野面の最高点は、仙川と玉川上水の中間にあることが分かります。そしてそこから北側へかなり傾斜していることも(この横断面図では高さを著しく強調してありますのでご注意)。
 武蔵野台地の原型となっている扇状地・氾濫原の、さらに基盤となっている地層が北へ向かって傾斜しています。関東平野全体が、現在でも埼玉県北東部付近を中心として沈み続けている影響なのでしょう。かつては、相模川も関東山地を抜けた後、北東流していたそうですから。
 じゃあ、なんで現在の多摩川は台地の南側を流れるようになったのでしょうか? 重要な課題ですよね。切り立った国分寺崖線を見ていると、緩やかな変化ではなく、急激な変動が原因なのでは? と想像してしまいます。たとえば、立川断層の活動とか(上杉 陽先生が指摘しています)。
 もう一つ余談ですが、横断面図を見てよく分かるのが先人の知恵。この地点に限らず、玉川上水は台地内の分水嶺付近を通っているのです。このため、南の多摩川水系側へも、北の荒川水系側へも分水を「落とす」ことができるようになっているのですね。航空写真測量などない時代に、よくこの大事業を成し遂げたものだと、あらためて感心してしまいます。
 とまぁ、今日はこんなところで。
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by asiansophia | 2011-08-19 10:58 | 考古学(ジオ)